「 上昇志向を誘う三菱カラーテレビの看板」
私がテレビを初めて見たのは10歳の頃。昭和34年4月10日の天皇陛下ご成婚のパレードを小学校の職員室に一台だけある白黒テレビで観た。
(初期の白黒テレビはお父さんの月給が2万円の時代にその10倍の20万もしたほど高価なものだった。5年で半値の10万ほどになり、この頃にご成婚だったので、これを機に家庭に一気に普及した)。
当時、私の住んでいた田舎の村では、小学校の校庭に大きな幕を張って映画会が催されるのが映像物の娯楽で、校庭に筵を敷いて村の人が集まってくると、中村欽之助の時代劇などが映し出されていた。
子どもにとってそんなものはちっともおもしろくなかったので、映画の写る白い幕の後ろや前に出入りして大人たちに叱られた。
映画会が終了すると懐中電灯を持つ父に手を引かれて家に帰るのだが、漆黒の闇と空に広がる綺麗な無数の星々が降ってくる様に輝いていたのを覚えている。
漆黒の闇も星々もあれよりきれいなものをその後に見たことはない。
そんな映像しか知らない子どもにとって小さな箱に写るテレビという映像にはビックリした。
白黒テレビは一般家庭にも普及していったが、目が悪くなるからと時間制限があったり、ブラウン管からよくないものが出てくるからと、画面にカバーをつけられたりした(実際には白黒のブラウン管から紫外線が放出されている)。
また高価で大切なものだからと木箱に囲われてさらに観音開きの戸がついていたりもしていた。
一家に一台しかないものをみんなで観ていられた昭和の家族のあり方が懐かしい。
その後にカラーテレビの時代へと移行するが、街で見かけたこの看板はカラーというところにそれぞれの色が塗ってあり、昭和の日本が発展していく経済を牽引していた父ちゃんたちが、この看板を横目で見て会社に通った姿が想像される。
「父ちゃんがうーんと稼いで、今にきれいな色が付いたカラーテレビを買ってやるからな!」という父ちゃんの心の声も聞こえてきそう。
庶民の上昇志向を誘っているようで、おもしろい看板である。
(看板所在地 東京都板橋区弥生町)
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