「絵馬屋」
神社仏閣の前で頭をたれるとき、家族の幸せや乗り越えなければならないものの成就を祈願します。
願い事がたくさんありすぎるので流星群の訪れを待つ、という友人のジョークもありましたが、強く願い、良い行いをして徳を積み機を待つという自力本願型の方もいます。
いづれにしても、神代の昔から人はいつも希望や夢を何かに託しながら生きてきました。絵馬もその一つです。
馬は神様の乗り物として神聖視されていましたので祈願の時には本物の生きた馬が、神馬・ジンメとして奉納されていました。
また武運長久の守護神として多くの武将が競って馬を奉納しましたが、小さな神社ではその世話が重荷になることや、奉納する側も馬は高価であり大きな負担となることから大きな紙に描いた絵馬や等身大の馬の彫像に変化していくという流れになりました。
さらに馬を奉納できない者は代用として山の形の板に馬の絵を描いて奉納しました。
室町時代になると神社のみではなくお寺も便乗して絵馬が一般大衆にも広まり、馬の絵ばかりでなくお祀りされている御祭神と関わりのある動物も描かれるようになりました。
さらに安土桃山時代になると狩野派などの有名絵師による絵馬も登場。
それを鑑賞するための絵馬殿も境内に建てられるようになっていきます。
その後、図柄はさらに多様化し、病気平癒・安産や子育・入学祈願や就職、良縁を求めるための現在多く見られる絵馬となってきますが、神社仏閣のない教会やホテルのロビーなどにもハート型などの祈願の飾り物が絵馬の様に飾ってあると、日本人の無節操さにはちょっと苦笑をしてしまいます。
しかし、民間信仰として絵馬の伝統が残されている地域が山形県最上・山村地方にあります。
東京に住む親しい友人が話してくれたのですが、父親の三回忌で山形の実家に帰ったときお勤めに来てくれた御住職との会食の席で、じっと顔を見られて「誕生できなかったお子さんがいますね」と言われてビックリしたそうです。
結婚を機に東京に出てきて第二子を流産したのだけれど知っているのは夫だけで、田舎の両親には心配するので言っていなかったとのこと。
彼女にはその後生まれた長男がいて現在30歳半ば。
その長男が結婚をつつがなくできるように、流れてしまった子どもをムサカリ絵馬で追善供養をしてあの世で結婚をさせてあげた方がいい、と言われたそうです。
「ムサカリ絵馬」とは早世した我が子があの世で結婚もして幸せに暮らして欲しい、という親の願いが表されたもので、江戸時代より最上川沿いに伝わるあの世での結婚式の絵馬の事です。
昔は親や兄弟または親戚の者が描き供養したそうですが、近年では絵馬師への依頼や写真形態もあるそうです。
♪めでためでたぁの若松さまよぉおお♪の歌で有名な若松観音は『絵馬』の宝庫といわれていて、千数百点の絵馬が奉納されています。
その中には室町後期永禄6年(1563年)に奉納された国指定重要文化財や、この地方独特のムサカリ絵馬が数多く奉納されています。
写真は「千住絵馬屋 吉田家」。
都内で唯一残っている手描きの絵馬屋です。
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