「お米 知事許可販売店」
看板があったのは神奈川県鎌倉市建長寺の左側にある駄菓子屋さんのようなお店です。
古い家屋でしたし、下校途中の高校生が群がっていてパンやアンマンやジュースやカップラーメンなどを、おもいおもいに食べていましたので近づいてみました。
ガタピシ来そうな入り口の引き戸を見上げたら、古い看板が三枚残されていました。
「米 知事許可販売店」と「非常災害時米穀配給指定店」の二つの看板。
その隣には赤銅色であまり読めませんが「県登録米……」と書いてあるようです。
おそらく県に登録済みの米販売店と書いてあったのでしょうね。
戦中戦後はお米が不足して配給制度(政府が買い上げて販売)になっていました。
その後に自主流通米や銘柄米などが出てきて米の配給制度は1981年(昭和56年)に廃止になりましたが、廃止になる以前のお米の販売は知事が許可する免許制でした……と話には聞いていましたが、これがそうだったのね、と見上げました。
私が夫と結婚したのは1972年(昭和47年)。大切なものを入れる袋(国民年金手帳とか厚生証書。郵便局の定期預金通帳や実印など)を夫から渡されて主婦になった実感を覚えていますが、その時に米穀通帳も渡されました。
青い表紙で見開きになっていて中には米屋さんが記入をしたような日付と印鑑が押してありました。
結婚して間もない頃も私が実際にそれを持ってお米屋さんに購入に行った記憶はありませんので、何のために夫から渡されたのか記憶は曖昧ですが、大切に持っているようにといわれたことだけは確かです。
……そういえば、米穀通帳にお世話にならなかった理由がもう一つありました。
実家は大衆食堂を営んでいましたのでお米が売るほど(笑)ありました。
実家に帰るたびに父がお米を持たせてくれました。
夫が車で行くと荷台のほうに父が一俵の米袋をドスン!と入れてくれるのです。
お米だけではなく海老も鯖も秋刀魚も海苔も。
キリンレモンや黄桜のお酒などケースごと持たせてくれました。
何かお返しをしようとしたら「自分の子どもに返してやればいいよ(援助してやるから自分たちも強固な土台を築いて子供たちを支えるような親になれ)」、というが父の口癖でした。
私は今、子どもたちに何かを買ってあげると、娘は悪いはね、と言いますので、「いいのよ、自分の子どもに何か買って順繰りに返していくものよ」、と父の受け売りをしています。
父ほどの太っ腹にはなれなかったようですが。
話が横道にそれました。すみません。
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