Japan Geographic

看板考 柚原君子


「森永ドライミルク」

疲れたときに体が甘いものを欲しがりますね。体というか脳がダイレクトに「欲しい!」と指令を出しているような気がするときもあります。人間の母乳は他の哺乳類のお乳に比べると低蛋白で糖分が多いそうです。このことは体よりもまず脳を育てて、ゆくゆくは生物の頂点に立とうという野望をもった人類の作戦だったようです。お乳成分の作戦は成功して、脈々と遺伝子を繋いで立派な脳を持つヒトとして人間は発達してきました。

母乳が不足の時にはもらい乳をしてそれでも足りない時は重湯や水あめを飲ませたそうですが、それらの糖分補給も脳の成長を守るための智恵だったそうで、粉ミルクがある現在ですが、母乳は大切だよ!という指導は現在の産院でも徹底しています。

森永といえば昭和30年におこしたヒ素ミルク事件を思い出します。それまでは乳業業界では最大手でしたが、そのことで雪印乳業に抜かれます。その雪印乳業も牛肉偽装事件で明治乳業に抜かれます。現在の業界一位は明治。森永は二位になっているそうです。

看板は豊島区雑司が谷で見つけました。ひっそりと地面に置かれていました。「おちち」という単語。なぜか温かい気持がします。

人前でも平気でおっぱいを飲ませていた時代、ブラジャーのことを「ちちあて」「ちちバンド」と言っていた時代。婚前交渉だの、できっちゃった婚だのを眉八の字にして良識ある方々が騒ぐ今ですが、「足いれ婚」や「夜這い」なども公然とあった時代が「おちち」という日本語から見えてきて、おおらかな時代のほうが生きやすかったのではないかと看板見ながら思ってしまいました。

「おちち」に変わる粉ミルクですがそれを飲ませるための器具がなければ赤ちゃんに提供できません。器具は1871年に哺乳瓶「乳母いらず」が販売されたそうです。1917年には日本で和光堂が国産の粉ミルク「キノミール」を発売し、当時は牛乳と水の割合を2:3としてさらに糖質を加えた調合乳を粉末化したものだったそうです。

現在では粉ミルクの成分も高品質化しているそうですが、今の技術では本来母乳に含まれる免疫成分(IgA)までは配合できていないそうです。脳を限りなく発達させてきた人類。この先、粉ミルクの中に「おちち」の成分が配合できるように期待したいところです。

 

 


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