Japan Geographic

看板考 柚原君子


「月星シューズ『なかよし』の看板」 

可愛い男の子と女の子が手をつないでいる姿がイラスト化されています。配色も緑、赤、黄色、橙色の四色のみのシンプルで、全体に優しく丸い気持ちになれる看板です。

場所は山手通り要町交差点より板橋区の熊野町方面に向かって右側の、板橋区庚申通り商店街の中。車一台がやっと通れる細い路地の両側に小さなお店がたくさん並んでいる商店街です。周囲には細い路地、アパートも多く、商店街としてはまだまだ活気がある方です。ご他聞にもれず、年配の方々ばかりが店主さんのようで、看板のあったシューズ屋さんも相当年期が入っているようなお店でした。

看板は昭和43年(1968年)に「なかよし生産開始」と月星シューズの社史にあるので、マックスで古ければ、今から46年前のものということになります。

月星シューズは明治6年、創業者初代倉田雲平氏が、久留米市米屋町に家賃六五銭の小さな店を借りて「つちやたび店」と名付けて、座敷たび造りが始まりとのことです。

明治10年の西南の役に、軍用被服(たび二万足、ズボン下一万枚他)を請負って、初めて大量生産に成功したと社史にあります。明治32年、政府より「素足は禁物」の注意が発表されて、たびの需要が急増したそうですが、まことにおもしろい発令ですね。明治政府はけっこういろいろな禁止令を出しています。明治34年(1901)5月に当時の警視庁がペスト防止と風俗改善の為として、車夫・馬丁に裸足禁止令を出して、違反したものは拘束されたり罰金を取られたりするという記事もありましたので、これもその素足を禁じるの一環なのでしょうかしらね。それにしても寒がりはともかく暑がりは嫌だったでしょうね。

月星シューズは時代を先取りする力も優れていたようです。大正時代に入って地下足袋の開発、関東大震災で30万足を失う、昭和に入り南極観測隊に特殊防寒靴を製造・寄贈、皇太子殿下浩宮さまへ「スーパージェッター」シューズ献上、ニューバランスやコンバース、トムマッキャン、Kappa・ K・SWISSなどと次々とブランドライセンス契約。現在社長さんは15代目となられて社名も「株式会社ムーンスター」に変更されています。

錆びれかけた商店街の一角で「ニコニコ笑っているような看板」の背後に、こんな物語があったというわけです。

余談ですが、「靴」では私が「理不尽」な叱られ方をした、と子ども心に思った体験があります。私には二つ下の弟がいて、幼稚園に迎えにいくのは小学校の一年生の私の役目でした。お迎えに行ったら、弟のクラスはお迎えの前のお遊戯をしているところでした。私は弟が出て来たらすぐにはけるように、弟の外履きの運動靴を胸に抱いてそのお遊戯に見とれていました。見とれすぎて、最後まで見てしまいました。気がついたら弟は下駄箱の前で「靴がない!」と泣いて、私は保育士さんに隠したら駄目よ、と叱られたのでした。私は弟の靴を大事に持っていて弟を可愛がっていた自負があったので、切ない思いがしましたが、言いわけする言葉の段どりが出来るほど大きくはなく、うつむいたままでした。長じて「理不尽」という言葉を知ったときに、そうだあのときの気持ちはこれだったのだ!と、思いました。最後までお遊戯に見とれてしまった自分は悪かったけれども、弟を泣かせたかったわけではない、とその横に立つ小さかった自分を慰めてやりたい気持ちになったのを覚えています。

注釈:御衣黄桜(ギョイコウサクラ)から「黄桜」という説もあるようです。が、ウコン桜は、御衣黄桜に似ていますが数百品種あるサクラのうちで唯一、黄色の花を咲かせるのがウコン桜です。【唯一黄色の花を咲かせる!】ということで、このキャプションはロマンチックに行きたい関係上(笑)、ウコン桜を「黄桜」の商標の元と決めました。勝手ですみません。

 


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