Japan Geographic

看板考 柚原君子


「電話販売店」

 

所在地:東京都江東区清澄

江東区の「清澄庭園」を背景にして、清澄通りに面して建っている長屋のような鉄筋建物があります。鉄筋2階建てで、5〜6軒で一つの棟。次の棟との間に空き地を造り火災による延焼を防ぐようになっていますし、驚くことに屋上があって隣に避難できるようにもなっています。

1923年の関東大震災後にその教訓を生かして造られた建物で、強固でさらに地下室もあります。第二次世界大戦(1941年:日本が加わった年)の時にも焼かれることもなく、地下室は防空壕となったそうです。1928(昭和3)年に建てられたもので築87年経っていますが、土地は東京都の所有で、今後は背後にある清澄庭園に組み込まれる予定になっています。上物売買は現在は禁止されていると不動産屋さんが言っていました。売るのであれば東京都が買い取るということなのでしょうね。

この長屋のような貴重な鉄筋作りの真ん中ほどの家に看板がありました。

昔の字体ですが「電話売買 ○○販売店」と読めます。

えっ電話って売買できるの?と思ってしまいますが、加入権(施設設置負担金)が必要であった頃は7万円台で権利のようなものがあったそうで、2008年頃でも、正式に買おうとすればその半額くらいは必要であったそうです。それは債権と呼ばれていたので、売買が可能で、そのための業者も多かったそうなのです。看板の字体の古さから想像すると、当用漢字については1947(昭和22) 年11月5日に施行されていますので、少なくともそれ以前の看板と思われます。

時代は随分と変化して、現在の債権は500円から2000円くらいとのこと。電話売買はあまり商売にならなくなったということのようです。看板のある家も、もちろん現在営業をされているわけではありませんが、店内をのぞかせていただくと黒光りした一枚板の、かなり幅の広い立派なカウンターがあって、老舗の商店の趣と時代が感じられました。

回線提供も様変わりしました。現在はNTTしか電話回線提供が出来ないわけではなく、光電話、IP電話、ソフトバンク、KDDIなどほとんど新規加入の費用(加入権として)を必要とすることがなくなりました。携帯電話の爆発的な普及はいうまでも無いことですが、さらに携帯電話の中に、無料で通話ができるLINEというコンテンツまで登場しています。本来の電話を、あえて「家電」と言うほどになっています。

愛知県の田舎に住んでいた私の小さい頃、もちろん家には電話がなく、東京の叔父からの急用には電報でした。村の中では庄屋の役目のような大きな家に(切手も売っていた)だけ電話があって、壁にかかっていたロボットの形に見える電話を(固定電話のあゆみをしらべると、23号自動式壁掛け電話機だったようです)、祖母が電報が来た東京の叔父にかけさせてもらっている、という思い出があります。庄屋さんの家はお金持ちでメロンや苺やカステーラなどもあり、電話を借りる用があると祖母に孫一人までついていっても良いルールが当時はあって、庄屋さんの家で出されるおやつがとても楽しみで、弟と順番を争ったこともありました。……「電話売買」の看板のお話でしたが、ちょっと卑しい顛末になりました。スミマセン。

 


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