Japan Geographic

看板考 柚原君子


「エバポン」

 所在地:東京都葛飾区高砂にて(2015年3月撮影)

本日の看板は「エバポン」です。今はもう誰も住んでいない古い家の脇に捨て置かれていました。大正製薬で売られていたトイレの一滴消臭剤。現在では販売されていません。

当時お手洗いのことを『ご不浄』と言っていた時代、ボットンお便所という別名であった頃の消臭剤です。エバポンは小さな瓶に入っていて、用を足したあと数滴を垂らすだけで、透明な潮風が清涼感満載で吹きぬけるような感じでした。

「イッテキショウシュウエキ〜♪」というCMもありましたし、当時はどこのご不浄にも球体のナフタリンなどがぶら下げてありましたね。子どもが触れるような所に下げてありました。エバポンが垂らされてもご不浄の強烈な臭いは完全に払拭されず、ウッと息を止めてご不浄から出てくるのが常でした。私が小さい頃はご不浄は臭いのが当たり前で、特に変だとは思いませんでした。

エバポンは無くなりました。ご不浄という言葉も多分死語にちかいでしょうね。

……ついでながら、無くなったり記憶から薄れたりして行くものを少し羅列してみます。テレビのチャンネルは、昔は回すものでした。ツマミをね。私は今でも時々チャンネル回してもいい?と娘に訊いてしまうことがあります。娘や孫たちは当然にしてチャンネルは「替える」です。押すものと回すもの。電話もその手の変化ですね。

リンスは昔はお湯に溶かして頭に回しかけていました。ぬらした歯ブラシを歯磨き粉の缶の中に突っ込んで歯ブラシについてきた粉で歯を磨いていました。家族一同じいちゃんもばあちゃんも、もちろん同じ缶。親父臭、加齢臭、核家族なんて言葉はまだ発明されていませんでした。

鉄筆でガリ版切ったものを印刷機に丁寧にかけて、インクを入れて回転させてわら半紙で問題集を作っていた。数学の先生がイケメンだったので、女学校の全員がお手伝いを望みました。学級委員だった私はその権利でイケメン先生のガリ版のお手伝いをしました。もちろんイケメンという言葉もまだ出現していなかった。

缶ジュースには猫の爪の様な形のものが必ずついていて、それでプシュッと開けて飲むのでしたが、うまく飲めない場合は反対側にもプシュッと空けて、空気の循環でたやすく飲めるようにしました。

中学時代は、女子は家庭科、男子は技術と別々の教室に分かれて勉強。駅の改札口では切符にパンチを入れてもらって通過していました。パンチで指を切られる人もいなかったけど、だからと言って通勤客が滞ることも無く、改札のおじさんはまるでパンチ職人のようでした。

1ドルは360円。ちなみに電電公社は神社ではないですよ。中学生向けの雑誌には文通欄が有って、住所も名前も駄々漏れであっけらかんと載っていました。電話帳も卒業名簿も情報はすべてオープン。卒業名簿などはこれでもかという位に続き柄や就職先まで掲載されていましたっけ。……いいんだか悪いんだか、普通免許をもらうと原付も自動二輪もついてきたコトモアリマシタ。

朽ちた家の脇で鉄サビの浮いた「エバポン」看板。捨て置かれた看板にちょっと昭和の臭いがしましたので、ついでならが廃れた昭和に思いを馳せてみた今回でした。……あっ!字を間違えました。昭和の臭い、ではなく昭和の匂い、でした。

 


 All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中