「猫おことわり」
所在地:群馬県安中市
中山道宿歩きの途中の神社の賽銭口に掲げられていた看板です。
『賽銭口 注)猫お断り』とあります。
どういう意味でしょうか。
例えば猫に宛てたものなら、
■安中市の猫は字が読める!と間接的に自慢している?
■猫はわがままで望みが多くとても全ては叶えられないので、猫がお賽銭を投げてお祈りするのはお断りしている?
例えば人間様に宛てたものなら、
■捨て猫救助で有名な神社の(想像です)経営方針に変更があった?
■野良猫に秋刀魚を取られてばかりいる人が、秋刀魚を食べる間だけ入れに来る?
■ねずみ年の神主さん、ねずみ年のその奥様、ねずみ年の子どもたちと、神社全員で猫を恐れている?
■賽銭がないのでお願い事に来た人が、生きた猫を奉納したことがあった?
と、いろいろと想像をしてニンマリとしてしまった看板でした。
きっと近隣のいたずらっ子たちが、猫を入れてしまう対策なのでしょうね。
しかし深読みすれば、とさらに私は立ちつくします。
神仏場所に掛かる看板なので奥深く考えれば、猫に小判の諺があるように、ありがたいものを見せても効果や反応が無いことから、神社にお参りをしてもお願いばかりをする人は、神様の心理や道理がわからないのでお断り、という気持ちをやんわりと告げている優しい神官の心持、ということも有りえるのでしょうか。
神社やお寺さんで拝む時にいろいろお願いしたくなりますが、私は「いろいろ守ってくださってありがとう」、ということにしてお願いの諸々は控えています。
全知全能の神様なら都合を考えながら、叱咤激励や愛のムチを私におあたえくださるでしょうから、例えば苦しいことが与えられたら、多少もがきますが、良きことに繋がるその道の途中……そう考えることにしています。
今年も終わりますね。どなた様も良き来年となりますように。お祈り申し上げます。
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