「ニギリ矢印」
所在地:東京都台東区谷中
東京都台東区の谷中霊園散策の途中で見かけた看板。一枚の看板の中に数社が書かれているもので、その中の一つ「ニギリ矢印」です。「ニギリ矢印」は薬缶や鍋の取っ手に着いている商標とし現在でも見られますし、懐かしいところでは金色の輝くようなでっかいヤカンや、梅干しを入れたら溶けるからだめよ、と言われたアルマイトのお弁当箱などがあります。
アルマイトについては電化皮膜工業株式会社のHPには以下のように書かれています。
【「アルマイト」の名でも知られるアルミニウムの陽極酸化皮膜処理は、日本が誇る世界的な技術です。アルミニウムは活性な金属であり、大気中では酸素と結合して自然に表面に薄い酸化アルミニウムの皮膜を形成します。この酸化アルミニウムは、それ以上変化しないという性質を持っているので、内側のアルミニウムを保護する役目をもち、そのために、一般にアルミニウムが腐食しにくいといわれるわけです。】
同じくアルマイトの命名の経緯は下記のように書かれています。
【アルミニュームに陽極酸化皮膜が生成することは1846年頃ファラデーが発表しているといわれる。わが国では理化学研究所創立当初(大正6年)から鯨井研究室でこの研究が行われ、大正12年12月20日鯨井恒太郎、植木栄により「アルミニューム電気絶縁性皮膜の製法」が、続いて同28日「アルミニューム並みにアルミ合金の防銹法」が特許出願された。これが日本で当初の陽極酸化皮膜に関する特許である。その後、耐食性のすぐれた酸化皮膜の製法が確立された。 昭和6年には理化学研究所がしゅう酸法による陽極酸化皮膜を「アルマイトAlmite」と命名し、登録商標とした。 昭和7年日本アルミニューム製造所、翌8年那須アルミニュームよりアルマイト製品が発売され、さらに昭和9年にはアルマイト加工を専業とする理研アルマイトが設立され、委託加工を始めた。こうして弁当箱、湯沸し、なべなどのアルマイト製品が一般に市販されるようになって、アルマイトという名称が普及し、陽極酸化とアルマイトは同義語として用いられるようになった。】
さて、看板ですが、ニギリ矢印の商標は、1899(明治32)年創業の那須アルミニューム器具製造所が持っていました。現在の日軽アルミの前身で、商標はそのまま引き継がれています。社名の那須から、那須与一が扇を射る姿が浮かびそのときの矢が商標になったかといろいろ探りましたが判明しませんでしたので、思い切って日本軽金属株式会社広報室におたずねのメールを入れてみましたところ、下記のような返信をいただきました。
【柚原君子 様 こんにちは。日本軽金属㈱広報室でございます。平素より当社活動にご協力賜り誠にありがとうございます。お問い合わせいただきました、「ニギリ矢印」の由来につきまして、メールにてご連絡いたします。「ニギリ矢」の名は、明治時代より、「ニギリ矢鍋」として、那須アルミニューウム器具製造所が使っていた名称です。あいにく当時の記録が手元にないため、発端が分かりかねる状況でございます。しかし、後の記録として、「ニギリ矢の商標は、一本は会社、一本は従業員、一本はお得意さま の三者ががっちりと組むことによって、栄える」というような文言がございますので、こちらは由来の一つになると考えております。ただし、ここから連想される「毛利元就の3本の矢」や「近江商人の三方よし」などが由来となったという記録はありませんので、その関連性ははっきりとは分かりかねます。あいまいなお答えとなってしまい大変申し訳ございません。何かございましたら遠慮なくご連絡くださいませ。】
日本軽金属㈱広報室様、ありがとうございました。
……と、まあそのようなわけでニギリ矢印の商標由来の確定はできませんでしたが、いろいろ調べているうちに、日本軽金属㈱が失速しそうになったときに発売して盛り返した製品に家庭用のアイスクリームの製造器『どんびえ』があった記事に行き当たりました。会社がどん底に冷えた時期を揶揄した命名とのちまたの噂で、そうだったらユニークな会社だと親しみが持てました。『どんびえ』の看板にもニギリ矢印が付いているでしょうね。探してみたい看板の一つとなりました。
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