Japan Geographic

看板考 柚原君子


「強いぞ日本」

 

所在地:東京都板橋区大山

2011年3月11日に発生した東日本大震災。想像を超える被害。あらゆるものを押し流した津波の恐ろしさが今でも目に焼き付いています。それまで自分が住んでいた地域の海抜など考えたこともありませんでしたが、足下の不確かさに恐怖を覚えて、住居のあった海抜ゼロメートル地帯から引っ越すという、私も含めて生き方の方向を変えた人も多かったようです。

東日本大震災という名称が付きましたが、確かに震災への備えは日本に住んでいる以上家訓のように子孫に伝えなければいけないと思うのですが、東京電力の原子炉事故が大震災以上に復興を妨げているのは事実で、大震災という言葉に何か一つ付け加えなければ、この未曾有の災害・事故を種々の戒めとして後生に残すことはできないような気がします。

被災県民ではありませんので被災者・被災地への救援、復興支援が長期に渡っても解決せずに、苦しまれている方々がまだまだ多いということを理解はしていても、実感として日々の暮らしに入り込んでくることはあまりなくなっています。

東日本大震災で日本人の一人として一緒に頑張ろうという想いの『がんばろう 日本』という看板も町中から減った様に感じます。復興を追うドキュメンタリー番組も、東京電力の原子炉の現状も、今年度の復興に投入される税金の額も、アンテナを高く高く立てなければ入ってこなくなったような気がします。

原子炉を多く抱える日本にとって、東日本大震災は国の存亡につながる大震災であったはずなのに、その後の原子炉の様子、東京電力の被災者対策、経済産業省・原子力安全保安院などの定期的な会見、それらだけを流すテレビ局を国が開設してもおかしくないレベルであったのに、食と旅とバラエティばかりが目に付くテレビ番組覧となっている現状に、心がふつふつとします。

さてこの看板ですが、後世に残るとは思えなくてせめて写真を一枚撮りました。自転車で通りかかった若者たちが話し声を残して過ぎていきました。『おお、強いぞ日本、ってオリンピックかと思ったら……』と。

やがてはこの国を背負って立つ若者が言ったかもしれない『思ったら……』の『ら』のあとに続く言葉はなんだったのでしょうか。確かめてみたい気がしました。

 

 


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