「イネコキ王」
所在地:長野県佐久平市
中山道宿歩きの『塩名田宿』で古道具屋さんの店頭にあった二つの看板です。なつかしいぃ〜!と思って写真に収めました。
一目見ただけでこれが何を表しているのか知っている人は、もはや半分以上は黄泉国にいるのでは、と思えるくらい古いものです。
看板の文字も昔式の表記で、新コクホー一號、各縣農會推奨機、などと書かれています。
よく見ると上のほうにカタカナで小さく「イネコキ王」という文字が見えますね。
そうです、これは稲を脱穀してもみ殻と実を分ける足踏みの機械なのです。
文字も右から流れているところがあります。ちょっと説明がややこしいので、うまく表現できるか解りませんが、横書きに見えるけれどもこれは縦書きなのです(ふつうは二段に書くことはしませんが、一段ごとに文字意味が完結していればよしとされることもあり、看板はこの例です)。著名な額は右から書いて左隅に署名や花押がありますね、それと一緒です。
現在の私たちが横書きのしている日本語表記は左から書きますが、それは政府の命令だったのですね。
『公用文書作成の要領という中に(昭和27年、内閣総理大臣官房総務課)第3、 書き方について……執務能率を増進する目的をもって、書類の書き方について、次のことを実行する。1.一定の猶予期間を定めて、なるべく広い範囲にわたって左横書きとする。』とあります。
うっそ〜と思えますが本当です。巻紙にサラサラと墨汁で手が汚れないように右から左に書いていた昔のことは、捨ててください、という政府のお達し、ということです。
さて、もう一つ看板からわかることがあります。
「イネコキ」が語源となっている言葉が存在します。「こき下ろす」です。
人をむちゃくちゃにいうときに使います。あまり上品な言葉ではありませんが、イネコキから来ています。
イネコキは稲をこくというのが正しいので、そのときのコクの意味は、「狭い隙間を力任せに押したり引いたりして通す」、つまり脱穀という意味で、屁をこくという言い方も、お尻の小さい穴から屁を押し出すという意味で同例です。
狭い刃の間に稲をひっかけてきつい空間をこいておろすので、稲を人と見立てて、人をきつくけなす「こきおろし」となります。
さてさて「イネコキ王」が母屋のとなりの納屋にあった農家育ちの私の経験ですが、今ではお祭りでしか見ない脚絆と地下足袋の父が、足でぐっと踏み込むとイガイガがいっぱいついた円形のドラムのようなものが勢いよく回り、稲が束事それにひっかけられると、パラパラと向こう側に稲穂が落ちていき、姉さんかぶりの母や祖母が筵の上に散ったそれを集めている、そんなかすかな思い出があります。
看板にあるような立派な機械ではなく、もう少し単純な丸いドラムだけだったような、ちょっとあいまいな記憶になっていますが、それはうちが貧しかったから大きな機械がなかったのか、大きな機械が出る前の簡易式脱穀機で農業をしていたのか……でもたぶん貧しかったからだろうなぁ、子どものころ、鮭は頭と身がきちんとした形のないものばかりが食卓にのっていたっけ。ブリでいえば光るような切り身ではなく、大根と煮るような粗身ばかりだったっけ……あらあら余計なことまで思い出してしまった……今回の看板考でした。
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