「東京市小石川区」
『東京都』というと都庁のビル群がイメージされますが、多摩地域、伊豆七島から小笠原諸島まで含んでいます。
父島も郵便番号は100で始まり、住所は東京都小笠原村父島字……となります。
東京都は離島も含めて、余りにも広いので、東京都でも限られた区域に使われる『都下』や『都内』という単語も存在します。
そして江戸から現在の東京都になるまでは3回、4回の変遷を経ています。
昭和7年の東京は『東京府』として東京市(15区……麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区)、南葛飾郡、南安達郡、北豊島郡、豊多摩郡、荏原郡、北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡、八王子市などの分布です。
昭和18年頃には北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡、八王子市、立川市はそのままとして、それ以外の郡は東京市に吸収され、35の区に分けられることになります。
それまであった15区に足された残りの20区は下記の通りです。
江戸川区、向島区、城東区、葛飾区、足立区、王子区、板橋区、杉並区、中野区、淀橋区、豊島区、滝野川区、杉並区、世田谷区、中野区、大森区、蒲田区、品川区、目黒区、荏原区。
現在は東京都内といえば23区を示しますから、上記の35区の中がいくつかで合併して新しい区名、例えば文京区や墨田区、新宿区などになったり、また元々あった豊島区などに吸収されたりして、1947(昭和22)年には現在の東京都23区に落ち着いたということになります。
ちなみに15区であったころの配置順は皇居のある麹町区を起点に『の』の字形を描いて順番とされ、公式文書も必ずこの順番であったといいます。
外国式にかっこよく言えば15区は東京都の旧市街ということになるでしょうか。
さて、看板というか表札ですが、このような貴重な表札を掲げている家も少なくなっていますので、運良く見つけると嬉しい気がします。
表札は『東京市小石川区』とあり、区の字も旧字です。
大塚坂下町は元は小石川という冠称が付いていた(区史によると1911年(明治44)年に冠称を付けなくしたとある)ので、表札にそれがないということは明治44年以降の表札ということになります。
家の形態から見て表札歴70年から80年ということでしょうか。
この表札は坂下町とあります。近くに富士見坂があるのでその坂の下ということでしょうか。
この近辺はビックリするくらいの高低差のある地域で、都内で天城越えですか?と言いたくなるくらい胸突き八丁が多い場所です。
それでもその高低差ゆえに夕日がきれいに見えるので好きな場所でもあります。
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