Japan Geographic

看板考 柚原君子


 「ユアサフナショクパン」

所在地:台東区浅草橋5-22

ユアサフナショクが製パン業から手を引いたのは、いまから12年前の2005年のことです。

当該看板は地方都市または東京の下町辺りで、すでに閉店しているような店舗に掲げられていることが多く、有効看板で無くなってから12年が経過していますが看板的には比較的新しい年代物に入ります。

看板の多くは建物に付いていますから、建物の有効活用期限が切れたときが看板の命も終わるということになります。

重要文化財にまで出世する看板はないのです。それゆえ愛おしいなぁ、と思って眺めます。やがていつかは消えていく運命にある、<時代を生きた>看板を集めてくれるところがあるといいのに、とさえ思います。

さて、このユアサ・フナショクパンの看板ですが、なんと言っても思い出すのは「おっぱいパン」です。関西のかたはあまりご存じないかも知れませんが、関東以北の方で団塊の世代にはおやつとして食卓に出たことがあると思います。

販売名称は「甘食」。マカロンのように舌にとろけるような上品さは無く、カステラのように異国の香りがするでもなく、本当に庶民的な菓子パンでした。

食感はカステラから水分を抜けさせたようなもので、ぼろぼろと落ちてきて食べづらく、それでも何故か甘く、ほっこりとするおやつでした。

形状は本当におっぱいのようで、子どもたちはチュウチュウ吸う真似をしたり、Tシャツの中に入れて、胸ツンツンして部屋を一周したりと下町の下級庶民(笑)の我が家においてはこんなおやつの風景でした。

おっぱいパンという名称で子どものころに親しんでいましたが、『たべもの起源事典』(東京堂出版)によると

『甘食は日本独特の半生の焼き菓子風のパンで、1894(明治27)年に東京・芝の清新堂の初代が半日がかりだったパン作りの時間を短縮するために苦心を重ねて考案し、富士山の形として作った』

と記載があるそうで、100年以上も前に出来上がっていた富士山を模した焼き菓子がルーツだったとは驚きです。

また命名の由来においては『パンの事典』(旭屋出版)の甘食欄に

『甘いビスケットを大きくしたような食事用のパンから来ているらしい』

との記載があるそうです。

そんな甘食を販売していたユアサフナショクパンですが、社史によると

『1936年「野地屋」の屋号をもって、湯浅商店が肥料・米・雑穀・小麦粉・飼料などの販売を目的に創業し、翌年、法人組織に改め(株)湯浅商店(現商事部門)が設立されました。その後、1972年に船橋食品(株)を合併するとともに、商号を現在の「ユアサ・フナショク 株式会社」と変更しました。また、1971年に関連会社山野(株)(現ホテル部門)を通じてビジネスホテル業界へ進出し、平成元年同社を合併し、現在に至っております』

とあります。

焼き菓子、甘食よりも「おっぱいパン」。看板と共に下町庶民の感覚にマッチしたほろ甘いネーミングが消えていったのも惜しい気がします。

 


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