Japan Geographic

看板考 柚原君子


  「アサヒ靴」

 

看板の所在地:東京都板橋区南町庚申通り商店街

要町と熊野町の交差点の中間くらいに山手通りに寸断された「南町庚申通り商店街」があります。

昔の農道のような細い曲がりくねった一本道を池袋方面に続いていく商店街ですが、どのお店も昭和人々が現役で経営しているような、ある意味素朴な商店街です。

写真撮影は今から4年前の2014年でしたが、このお店は2018年の今はシャッターが閉まったままです。

そう思って見わたしてみるとこの商店街はすでに半分くらいが一般住宅になっていました。

看板の「アサヒ靴」はマークが日の出の朝日で、どこかで見たマークと足を止めました。

アサヒビールと似ていますので、アサヒビールは靴も造っていたのかと調べましたら、むしろブリジストンタイヤの会社と縁が深いことが判明。

古看板は「えっ!?」と思う単純な驚きや、日本の歴史・風俗が隠されていることが多く、古看板に出合うと立ち止まってしまいます。

さて「アサヒ靴」ですが、福岡県久留米市に本社を置くゴム靴メーカーです。

創立者は今から126年前の1892(明治25)年に「志まや」として足袋の製造が出発点です。

20年後に、シンボルマークを「太陽を背に波を打つ」印に(アサヒビールと似ていますが、良く比べるとアサヒビールの方が波がダイナミックでした)。

足袋はその後、地下足袋の開発につながります。

地下足袋は底にゴムを貼り付けた物で、今は安全靴がありますが、当時の建築現場や農作業は地下足袋でした。

現代の身近な物で言えば、お祭りの時にはく底がゴムになっている足袋でしょうか。

このゴム扱いがタイヤ部門として成り、のちに国産第一号のタイヤが生まれます。

やがて分社化されて「ブリジストンタイヤ」の前身となる、と社歴にあります。

時代は産業近代化の真っ只中。その流れに上手に乗っていく知恵や度胸や財力を供えた経営者が現在も残っていることになりますが、アサヒ靴も2代目経営者は、従来の徒弟制度をやめて給料制にしたり、裁断機や石油発動機の導入をしたり、戦争勃発を予見して生地や糸などの原料を大量買いして利益につなげるなど、時代の波を乗り切って行きます。

しかし、1998(平成10)年に、バブル崩壊後の時期なのでしょうか倒産してしまいます(全国で関連53社)。

が、3年後には更生計画が認可されて、三井物産やサンリオなど15社から出資援助を受けて事業を続けます。

2017年には会社更生手続の終結決定を受けて、新社名「アサヒシューズ」として再出発します。

当該ブリキ看板の右上の垂れ幕のピーナッツのスヌーピーは何故?と思いますが、「サンリオ」が出資援助した会社のキャラクターということで、なるほど、たどり着けました。

時代の波に乗って行くのは上手な企業というイメージがあります。

キャラクターシューズなども造って子どもたちの世界にも人気の靴屋さんですが、ポケモンブームが来た時期と重なって、ジャンプ出来て浮上したという一説もあるそうです。

その他にもヒット商品は多くあり、大人用の靴には「通勤快足」というビジネスシューズ、介護の現場やお年寄りに優しい「快歩主義」という靴シリーズもあります。

それらのネーミングには優しさや親しみやすさが感じられて、やっぱり浮上するだけの会社であると感心します。

余談ですが、創業者より2代目の石橋 正二郎氏の長女である安子さんは鳩山由紀夫、邦男さんたちのお母さんです。こちらはまあ、庶民には縁遠い世界ですが。

(参考資料:ウィキペディア及び会社概要)

昭和の色が残る古い商店街の靴屋さんの埃にまみれた1枚の「朝日の絵柄の看板」。その看板からたどっていった色々は、やっぱりおもしろいものでした。

 


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