Japan Geographic

看板考 柚原君子


  「日本一のやくざ男:映画ポスター」  

所在地:東京都中央区有楽町ガード下

あと三ヶ月弱で元号が代わります。略して書くことを考えると「M」「T」「S」「H」で始まる文字は有り得ないことだけは確実と言われていますが、さてどのような元号になるのでしょうか。

昨年暮れに大正生まれだった母が亡くなり、もう少し頑張ってくれたら四つの時代を生きた女になったのに、と思ったものですが、そういう私も3つの時代を生きた女になることができて、何かちょっと誇らしい気持ちです。90歳まで生きるとして(かなり欲張りか!)昭和を40年間生きて、平成を30年間生きて、新元号を20年生きる……悪くない数字の並びではないかと新元号のニュースを見ながら思っています。

当該看板は昭和30年〜45年頃の映画のポスターです。日比谷から銀座に向かっていく途中に俗に言う有楽町ガード下の壁に貼られています。だいぶボロボロになっていますが、雨が当たらないのかまだまだ文字は読み取ることが出来て、特に老齢の方々が立ち止まって見入る姿が見られます。

出演の方々はほとんどの皆さんが黄泉の世界に旅立たれた方ばかりですが、当時はいざなぎ景気、東京オリンピック、万博など日本人が元気に闊歩し始めた時代。それらを繁栄するように面白おかしく楽しく元気いっぱいの映画が多かったような気がします。

私はまだ中学生になったかならないかの頃で、住んでいた下町の墨田区押上に一軒の映画館があり、売り子が首にカゴをさげてアイスクリームやおせんべいを通路を通って売り歩き、映画は三本立ての入れ替え無し。大川橋蔵、美空ひばり「雪之丞変化(ゆきのじょうへんげ)」「新吾二十番勝負」などを祖母に連れられて、はじめは立ち見で、途中で席が空くと急いで取って、お便所のおっしっこ臭いがかすかに漂ってくる中を、満員の観客の吐く息の息苦しさをものともせずに観た記憶があります。祖母は村田英雄よりは三波春夫、中村錦之助よりは大川橋蔵とイケメン好みだったようです。

父が好きだったのは座頭市で、主に浅草で観ています。ラブシーンもけっこう有りましたが、当時の大人はそれほど子どもに気を使うことも無かったようです。座頭市はいつも満席で、映画なのに「そこだ!殺れ!」などのかけ声も飛び、通路に座って父と一緒に観て、一つの映画が終わると席を確保するのに真剣で、今の時代のネットで席を確保してから出掛けるなんて夢のまた夢。父は私と弟だけ先に帰して、どうやらそのあと「ストリップ」を観てから帰ったようで……だから浅草だったようで……。

十把一からげの大ざっぱな躍動感にあふれた昭和という時代に、人の核になるようなものを積み上げてきた私は、映画ポスターのような明るい元気な昭和は良い時代だったと思えます。

平成には平成人の思いがまたあることでしょうが、それも残りあと三ヶ月弱。さてさて新元号はどうなるでしょうか。とても楽しみです。

 


 All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中