「オロナイン軟膏ナンコウキクノ」
所在地:滋賀県近江八幡市正神町35(JG通信員野崎氏より写真を戴く)
猫にひっかかれた傷を祖母に見せると「オロナイン塗っときな!」。湯沸かし器すら普及していない台所仕事の母の手はアカギレがいっぱいで、鏡台の横に置いてあったのがオロナイン。昭和生まれの多くの人の記憶にある風景です。
オロナイン軟膏誕生関係語彙を、年次順に羅列していくと下記のようになります。
『大塚製薬にがり原料・三井物産・オロナイトケミカル社殺菌消毒剤・メンソレータム大衆薬ヒットの時代・徳島大学開発(産学協同開発)・原料メーカーの社名命名・発売は1953年テレビ放送開始同期・生CM・大村崑・ミスナースコンテスト・宣伝カー全国行脚・社長自ら全国病院行脚・サンプリング全国幼稚園に提供・キャッチフレーズ(「君の名はオロナイン」・「聞いてみてみ、つけてみてみ」「ここでもお役に立ってます」「日本の手は知っています」)・ホーロー看板時代始まる・浪花千栄子・松山容子・香山美子・名取裕子・ちびまる子ちゃん・クレヨンしんちゃん・5000円から27000円・ナンコウキクノ!』
ホウロウ看板にある「オロナイン軟膏H」(Dの時代もあった)の発売元である大塚製薬は、今から66年前の1921(大正10)年に徳島県鳴門で塩業から出る苦汁(にがり)を使った製薬原料を作る大塚製薬工場として創立されています。創立者の息子さんは11人目の社員として入社後、2代目として家業を引き継ぐことになります。
朝鮮特需の頃、オロナイトケミカル社が殺菌消毒剤を開発したのでこれで何か出来ないか、と三井物産から持ちかけられます。当時はメンソレータムなどの大衆薬がヒットしている時代でしたので2代目は「軟膏」に目を付けます。そして徳島大学の三人の教授に今でいう産学協同開発を依頼。誕生したのは、原料メーカー社の名前を取った「オロナイン軟膏」。1953(昭和28)年の創立30年後のことです。
オロナイン軟膏は出来ましたが、大手の製薬会社でなかったことから周知度は低く軌道に乗るまでの努力は大変だったそうです。宣伝カーを使った全国行脚や2代目自らの全国の病院巡り、また病院関連に周知のために、ミスナースコンテストなども開催。お母さんと子どもたちにも浸透させるために全国の幼稚園に売り上げを上回る費用をかけてサンプリング配布(注:現在は薬事法によりこの方法を取ることは禁止されています)など知名度を上げる涙ぐましい努力がされています。
オロナイン軟膏の発売はテレビ放送が開始された時期と一緒ですが、今のようにCMが簡単に流せる時代では無かったそうで、放送中での生CMが基本。藤田まことの「てなもんや三度笠」放映中の「あたり前田のクラッカー」同様に、大村崑の「頓馬天狗」放映中に「姓はオロナイン、名は軟膏!」などと流されています。番組スポンサーは当時は一社が当たり前でしたので、商品と役者とがより密接な関係で記憶に残ることになります。
その他のキャッチフレーズとしては「君の名はオロナイン」「聞いてみてみ、つけてみてみ」「ここでもお役に立ってます」「日本の手は知っています」などがあり、ホウロウ看板にも売れっ子女優の浪花千栄子・松山容子・香山美子・名取裕子などを登場させています。現代に至ってはちびまる子ちゃん・クレヨンしんちゃんなどが「オロオロナイナイ オロナイン♪」のCMソングをうたっています。
当該のホーロー看板ですが現在のヤフーオークションでは5000円から27000円の値段が付いています。ちなみに表題「オロナイン軟膏ナンコウキクノ」の「ナンコウキクノ」は軟膏効くの!という意味ですが、なんとこれまたすごい偶然で浪花千栄子の本名が南口キクノだそうです。看板に起用された後に関係者が知ったそうですが、このすてきな偶然に関係者は小躍りされたそうです。(参考文献:大塚製薬公式HP他)
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