「さだまさし……案山子」
さだまさしさんのファンになってかれこれ50年が経ちます。さださんの多くの歌に人生で何度か救われています。コンサートに通ったこと数知れず。傷心の時然り、失恋の時然り、死別の時も悲しみの時も。喜びの時も。コンサート会場の片隅に座っている自分の後ろ姿が色々な思い出と共に見えるようです。
そんなわけですから、新聞に「まさしく」とか「だまされた」とか「まださきのはなし」などの見出しがでると、さだまさしか!!と反応してしまいます。
だから八戸のえんぶり撮影時に”さだまさし”の文字を見つけたときは、思わず駆け寄ってしまいました。
本八戸の駅周辺だけのようですが、商店の窓ガラスやシャッターに言葉が貼り付けてあるのです。そのお店に親しみが持てるような内容で一つひとつが面白おかしく、つい店の奥をのぞきたくなります。
見つけた看板本体には、さだまさしさんの『案山子』の歌はこの八戸の三八城公園で作られたもの、らしい……と書いてあります。
ちなみに、案山子←あんざんし、ではありません。「かかし」と読みます。
歌詞はこんな感じ
♪元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか
♪寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る
♪城跡から見下ろせば 蒼く細い河 橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突
♪この町を綿菓子に染め抜いた雪が 消えればお前がここをでてから 初めての春
♪手紙が無理なら 電話でもいい 「金頼む」の一言でもいい
♪お前の笑顔を 待ちわびる お袋に聴かせてやってくれ
歌詞の中の城跡は近所の三八城。雪とかとか細い川とかも当てはまります。さて橋のたもとの造り酒屋とは、とキョロキョロしながら同行した友人と二人盛り上がりました。
事の真意は後ほどにするとして、案山子の字の成り立ちはおもしろいです。案山子は畑に立つものです。畑には作物を狙って獣や鳥が来ますので追い払わなければなりません。その方法は魚の頭や毛髪を焼いてその臭いを「嗅がし」て追い払う手段にしたそうで、案山子の元は「嗅がし」。
では何ゆえ「案山子」の字が当てはめられたかというと、「案山」とは低い山のことで割合平らな、つまり畑が多い場所。そこにポツンと置かれた人形、つまり子、それをあわせて案山子と。一つの説ではありますが、これも……らしい話ですね。
さてさて、八戸の方には申し訳ないのですが、長年のファンである当方、ちょっと訂正を。
『案山子』の曲の原風景は津和野。アルバムの写真は琵琶湖。「お金はあるか」「金頼むの一言でもいい」という歌詞はバイオリンの腕を磨くために長崎より東京都葛飾区の中学に一人で転校してきた少年のさだまさしが、親の仕送りを待つ心境も反映されているのです、という話をコンサートの時に何度か聞いたことがあります。
まっ、しかし、さださんのファンですから“贔屓”目にみて、この看板には親しみが持てます。ちゃんと……らしい、と語尾は濁してありますから。
看板はそもそも、見る人を立ち止まらせる効果があってこそ看板です。……らしいという使い方と共に、看板の勝ち!……かな?
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