「お多福産業株式会社」
所在地:埼玉県鴻巣市吹上宿内にて
崩れた家の脇にあった錆びた看板なので、相当古いかとドキドキしましたが、それほど古くもなく今から60年前の昭和49年創業、徳島県に本社を置く会社でした。
「お多福産業株式会社」は医療用具の認可を受けている靴やサンダルの会社で、現在は通販にも多くの品物がでていて商売が盛んに行われています。
看板の錆び具合は魅力的ですが取り立てて深く追求する事柄もないので、商標になっている「お多福」さんについて少し掘り下げてみたいと思います。
「お多福」さんは、目が小さく細く、鼻が低く、頬がふっくらとして下ぶくれ……現代的には決して美人の類に入らない女性像ですが、福々しく、人に幸せをもたらすような好意的な意味合いで使われるお多福さんです。
他方、よく似た顔に「おかめ」さんがあります。こちらはどちらかというと容姿の点で女性蔑視に使われることも多いようですが、夫を支えてなおかつ夫の職の名誉を守るために自害までした女性で、京都の千本釈迦堂
大報恩寺(せんぼんしゃかどう だいほうおんじ)に祀られています。
時代に先に登場するのは「おかめ」さんです。
鎌倉時代のこと。京都の名大工である長井飛騨守高次に千本釈迦堂の建設が依頼されます。彼は支柱四本のうちの1本を間違えて短く切ってしまうという失敗をします。他に大きな木で代わりになるものは無く、塞ぐ夫に妻の阿亀は、その短くなった柱を利用しながら枡組という技法を提案します。夫は阿亀の助言で窮地を抜けて千本釈迦堂は完成します。
しかし、阿亀は夫の大事な仕事に妻が出しゃばったことが後に知れたら、夫の名誉が傷つくと棟上式前日に自害をしてしまいます。
夫のために尽くしたのに自害をしてしまうとは、今の時代では想像できないお話ですが、当時の男社会の有り様をみれば想像できないこともありません。
棟梁である夫の高次は、本堂の上棟式に妻の冥福と工事の無事を祈って、また永久にこの本堂が守られる事を願い、亡き阿亀に因んだお面を扇御幣(おうぎごへい)に付けて飾ったそうです。その後の幾たびかの大火でも大報恩寺は焼けなかったことから、頑丈な建物、繁栄という意味で現在でも上棟式でおかめ御幣が飾られるところもあるそうです。
「お多福」さんが登場するのは江戸時代になってからです。
矢張り舞台は京都ですが、貧しい家に育っていたお福は偶然にすれ違った呉服屋を営んでいた裕福な福助(頭の大きな小男)に声を掛けられます。いわゆるナンパされてお福は裕福に暮らす身分になります。多くの福を拾ったということで「お多福」と呼ばれ、それにあやかって文化年間には福助とお多福の面を付けた門付けが家々をまわるようになり、やがて人形としても売られたり、商売繁盛として店舗の窓口に福助・お多福のセットで置かれたりするようになります。
阿亀もお多福も下ぶくれの目の細い頬の出ている顔が共通していたことから、時代を経て混同されることになります。現在でも巷で発売されている「おかめ納豆」や「おたふくソース」などはどちらも同じような顔です。
おかめやおたふくがどうして、ある意味女性蔑視の言葉になったかの経緯はよくわかりませんが、ちょっと私なりの想像を。
人は尖った顔よりも丸顔を好むと思います。丸い物を気に入るのは、ほ乳類がおっぱいを探して生き延びるための、脳に刻まれた太古からの記憶によるもので、現在でもアンパンマンが幼児に根強い人気があるのは、おっぱいの形をしているからといわれています。
平安時代、ふくよかで髪が長く艶々している女性は持てたと源氏物語に出てきますが、たくさん食べることができてお太りになり、髪も手入れ良く長く留め置ける(切って売って生活の足しにする必要もなく)その暮らし向きに、平安男性陣が羨望を覚えたと考えることもできます。
そして多少、顔のパーツがバラバラでも、とりあえず、丸形ふくよかで安心ができるし、良い生活もできそう……だからおブスでもがまんをしよう、と。
時は移り、栄養が行き届いている豊かな長い黒髪や肥満をよしとする価値観は廃れて行き、頬はすっきり、鼻高く、目はパッチリの西洋文化に親しむようになった日本人は、そのまるで正反対であるオカメ顔を女性蔑視に向けていったような気がします。
ちなみに私はオカメ寄りです(笑)。昔に生まれていれば私もお福になれたやもしれずと思いつつ、今月の看板考を締めます。<(_ _)>
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