Japan Geographic

看板考 柚原君子


 

 

 「広貫堂」  


所在地:東京都台東区浅草

♬ 越中富山の反魂丹
♬ 鼻くそ丸めて萬金丹  
♬ それを呑む奴アンポンタン

上記の俗謡は江戸時代のお伊勢参りが盛んな頃、お伊勢参りのお土産は万能薬・萬金丹か伊勢白粉(おしろい)でした。今でしたら赤福となるところでしょうが、当時は歩いて江戸に帰らねばならないので、あまり荷物にもならず傷まないお土産として上げる方も戴く方も喜ばれた萬金丹だったのでしょうね。

富山にも同じ万能薬として反魂丹がありましたが、知名度では負けていましたので、置き薬で有名な富山の薬売りが、歩いて全国に広めた俗謡といわれています。ライバルの萬金丹を『鼻くそ』とおとしめているところが笑えます。

富山の置き薬は「配置売薬」といわれるもので、配置するきっかけは1690(元禄3)年。富山10万石の2代目藩主・前田正甫(まさとし)が江戸城に登城した折、岩代三春藩の藩主・秋田輝季が腹痛を訴えて倒れたところ、前田正甫が持参していた「反魂丹」を与えると、腹痛は治まり諸大名がその効能にびっくりして我が藩にも届けて欲しい、と所望したそうです。しかも、薬が欲しいばかりか自分の藩内でも販売したいとのことで富山の薬の諸国行商が大いに盛んになり、以来、昭和初期でも行商人が14160人いた、という記述があります。(エーザイ製薬薬博物館要約)

当該看板は、明治9年、売薬人たちが共同出資して製薬会社「広貫堂」を立ち上げます。そのときのものです。その15年後には富山の薬の配置販売員育成のために「共立富山薬学校」も設立されていますが、のちにこの学校は富山大学薬学部となります。

時代劇の十手持ちの下げている印籠の中にも萬金丹か反魂丹が入っているようで、町娘(美人だった)が気絶したときに印籠から出して含ませていた映像をみたことがあります。美しい町娘はアンポンタンには見えなかったので、印籠の中に入っていたのは反魂丹だったのかもしれません。

昔々、富山の薬売りが田舎の我が家にも来たことがあります。お土産はきれいな紙風船。膨らませて、破れないように、破れないようにポンポンと撥(は)ね上げた記憶があります。

 

 


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