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栃木県鹿沼市 市街
Downtown,Kanuma city,Tochigi

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Feb.27,2018 柚原君子


福田家住宅店棚及び主屋

国登録有形文化財
所在地:鹿沼市上材木町1827

おひな様巡りに鹿沼市を訪れた今日。おひな様めぐりの地図におひな様公開のマークはありませんでしたが、「福田家住宅店棚及び主屋」として国登録有形文化財とありましたので、行ってみました。正面の撮影のみと思ったのですが、脇の木戸が開いていたので、そーと覗いて横側から1枚写真を頂戴していましたら、玄関の戸が開いて「今年は申し訳ないのですが、主人が亡くなったのでお雛様の公開はしていないのですよ……遠くからですか?そうですか、それでは少しだけならどうぞ」。ということで正面の格子戸をくぐって招き入れて頂きました。江戸末期、明治中期と過ぎてきた建物だけあった、入ってすぐの梁はものすごく太く2本も。驚かされます。おひな様は家の中にあるもので一番小さいものを、今年は飾ったそうです。
商店の頃は主が座った場所という店が見渡せる小間に。三笠宮様が奥の離れにお泊まりになったときの御賜品が飾ってありました。奥の二階建ての離れと主屋とはコの字型で囲まれて庭には鳥がたくさん来ていました。

家屋の説明
鹿沼市役所HPより
「基本情報:江戸末期、明治中期、大正前期増築(昭和前期改修)。木造二階一部平屋建、瓦葺、建築面積221平方メートル。 成り立ち・見所: 旧鹿沼宿にあって、旧例幣使街道に西面する。間口9.6m(5間半)の木造二階建、切妻造の店棚と、東背面に続く木造平屋建、寄棟造の主屋からなっています。正面に土間の深い銅板葺下屋を付け、その上部に格子窓を広く構え、一、二階ともに連なる格子戸が当時をしのばせる落ち着きのある商家の佇まいを作っています。佐渡屋を屋号として、近世から麻・肥料商や質屋を経営した大店の市内を代表する商家建築であり、国土の歴史的景観に寄与するものとして登録されました。」
文化遺産オンラインより
「主屋の東に渡り廊下を介して続く。桁行7.4m梁間5.7m、木造2階建、東西棟の切妻造桟瓦葺。1、2階とも座敷2室を東西に並べ、南・西面に縁をまわし、主座敷には上質な座敷飾りを備える。開放的で、品格のある近代の接客空間をなす。」
                               

市中のお雛様
                            


鹿沼市文化活動交流館石蔵(旧帝国繊維石蔵)

登録有形文化財(建造物) 登録年月日:2014年10月
石造平屋建、鋼板葺、建築面積495㎡

所在地:栃木県鹿沼市睦町字寺ノ内1956-2
建築年:1912年〜1918年(大正時代)
改修年:2002年

内部は非公開でしたので、周囲と遠景を撮りました。キャプションは以下の通りです。

1,は文化遺産オンラインHPの説明
2,は鹿沼市の教育委員会HPの説明
3,は旧帝国繊維から鹿沼市が石蔵を譲り受けた後どのように活用するか(されたか)の経緯が「里地ネットワーク 建築再生事例集」としてHPにありましたので一部掲載させて頂きます。

1,
「製麻業で栄えた当地で、黒川と木島用水が囲む地区に位置する、もと製麻工場の建築。石造平屋建、桁行五五メートルを測る長大な蔵で、下段には近隣で産する深岩石を、上部には大谷石を積み、キングポストトラスの小屋を載せる。製麻産業の最盛期を物語る遺構。」(文化遺産オンラインより)

2,
「大正初期に建てられた、もと製麻工場の石蔵。壁体は市内で産出される深岩石で作られ、キングポストトラスの小屋組みにより鋼板葺の屋根を支え、内部に柱のない大空間を作り出しています。内部は3室に分かれ、2枚の間仕切壁とその間に位置する控壁が壁体を支える構造体を兼ねています。建物は南北桁行約100mの切妻造で、元工場敷地南端にあたる南側の妻壁には丸に麻の字を図案化したレリーフが浮彫りされています。平成8年に鹿沼市へ寄贈され、現在は鹿沼市の倉庫として活用されています。製麻産業で栄え、麻の産地であった鹿沼市の近代化に大きな役割を果たした歴史を物語る建物であり、国土の歴史的景観に寄与するものとして登録されました。」(鹿沼市教育委員会より)

3,
■帝国繊維株式会社から譲りうけた石蔵2棟を、市の「文化ゾーン」整備事業に生かす計画である。計画段階で、2棟とも解体する案、2棟とも残して再生活用する案も出たが、1棟を残し、1棟は解体して石材のみ再利用する方針に決定された。公共建築としての再生事業であることや、既存の石蔵の空間的な条件から、再生後の機能に制限もあった。文化交流館として市民に開放される計画だが、長い目で見た運営・活用の計画が求められる。熊倉敬次建築設計事務所(改修時)
■建造物の様式、特徴
『石蔵』については、大正初期の建築物で、外壁は鹿沼市で産出される深岩石を用い、屋根は木造洋風トラスト瓦棒引きを採用している。入り口や窓枠の装飾部分の一部が修復されているものの、当時の形態を留る歴史的重みを伝える重厚な建築物である。帝国繊維株式会社の倉庫として使われていた。
■建物の使われ方
石蔵(西棟)を現存のまま改修し、「文化活動交流館」の創作工房(陶芸や木工等)や多目的空間として活用を図る予定。石蔵(東棟)は解体し、その石材を新築施設で再利用する。その他、歩行者の動線確保に、ガランドウにした東棟を利用する案もあった。
■歴史、変遷
石造に使われている大谷石は、帝国ホテルに使われたものと同じ時期に同じ山から切られたと考えられている。
■再生の目的
鹿沼市では、中心市街地の活性化の拠点施設の一つとして、また、市民の生涯学習活動の拠点施設として、「文化ゾーン」の整備を進めている。「文化ゾーン」の整備については、明治、大正、昭和初期を通して本市の主要な経済を担ってきた製麻工業(帝国繊維株式会社)の産業遺産である石蔵の保存・活用を事業の動機としている。(平成8年、帝国繊維株式会社から石蔵2棟寄付)石蔵の活用による活性化や新たな文化振興への期待は大きい。また、土地固有の景観の維持にもつながると考えている。
■保存・再生活用に至る経緯、
地域の意見
・2つとも解体して新しいものを建てればいいのではという意見もあったが1楝だけでも残そうということで解体を支持する人と和解した。
・解体された東棟について、地ビールを扱うビアホールなどとして保存される案も出てはいたが、水廻りの改修には法規、財政の面で困難が多いため、解体、部材利用という決定になった。手本事例は那須歴史探訪館 (隈 研吾)
■機能・用途の変更のための改修操作
石蔵(東棟)は解体し、その石材を新築施設で再利用する。石造建築当時は、鶴嘴を使って手動で切り出していたため、表面に鶴目が残っているのが特徴。見えるように、外側にして貼る。
・石蔵(西棟)を現存のまま改修
・構造体:補強は特になし。(予定)
・設備:電気設備の整備、トイレの設置(予定)
・外部:一楝だけ採光のため屋根に天窓を設置(予定)
・内部:創作工房を設置。これとトイレだけ間仕切りをとりつけパーティション。床は石畳にする予定。(*石造建設当時には内部は3つの部屋を仕切る壁に開口はなく、現在ある扉は後から付けられた。)
■法規クリアのための改修操作
古いものを残し活用していくということについては公共事業としてはまだまだ難しい。
既存の石蔵のもつ空間的な条件として、活用させていくための機能がかなり限定されてしまう。
■建築の歴史や記憶を残すために保存したもの
構造体:構造体の補強を途中まで提案していたが、ある芸術家のインスタレーション(蝋燭などを用いた演劇)によって、構造体も内壁も新しくせずに使ったほうがよいのではという方向になっていった。
・外部:地元の大谷の石を用いたファサードでありこの素材感を残すことが一番重要視された。したがって外壁は手を加えず保存。
・内部:内壁、天井梁は手を加えず保存。
■文化財等の指定
視察はあったが、指定される可能性は低い。
■事業費
30,000,000円
■今後の展望
ソフト事業における市民主体の企画運営組織の検討・財源の確保に今後の課題がある。
(里地ネットワーク 建築再生事例集より)

                  

まちの駅
                   


大谷好美館(オオヤコウビカン)国登録有形文化財
所在地:鹿沼市今宮町16094

鹿沼市市役所HP(全文)
「基本情報:明治30年頃(昭和前期、平成18年頃改修)木造二階建、鉄板葺、建築面積61平方メートル
今宮神社への参道に西面する木造二階建、下見板張の写真館建築。同志社大学で学んだ大谷養三が帰郷後、神戸の異人館を参考に、写真館として建築しました。入母屋造妻入鉄板葺で、正面に玄関ポーチを付け、妻壁に植物模様や「美」の文字を飾っています。一階に和室や待合室などの居住スペースを配し、二階を広い撮影室と暗室にしています。特に撮影室には天井を張らずに背の高い空間を作り出し、現在は塞がれているものの、自然光を照明装置とするため、屋根の北側一面を延長して立ち上げ、ガラス張りの天窓とする独特の形状となっています。
現在、写真館としての営業は終了していますが、当時、美術写真館にふさわしい外観を造ろうと見聞した洋風意匠を随所にちりばめ、おそらくは和風の大工を指揮して作り上げたものであり、国土の歴史的景観に寄与するものとして登録されました。」
     


鹿沼市郷土資料展示室
所在地:栃木県鹿沼市睦町字寺ノ内1956-2

野州麻展示
旧帝国繊維の石蔵がある敷地内に、生産量全国一をほこった鹿沼市の郷土の特産品である「野州麻」の展示が行われていましたので寄ってみました。

展示室内の大麻の説明(全文)
「大麻は古くから麻織物として衣生活の必需品として、盛んに栽培されましたが、江戸時代には木綿、明治時代には羊毛や外国産の繊維、第二次世界大戦後には化学繊維が普及するにつれ、衣類としての需要は減りました。しかし、しなやかでかつ強靱な繊維は様々なものに利用されてきました。
江戸末期〜昭和初期の野州麻の全盛期には下駄の鼻緒の芯、縄、網、ロープ、漁網を中心に蚊帳や織物などにも利用されていました。また、日清・日露戦争、第二次世界大戦前後には艦船の綱、大砲の綱などの軍関係の製品に多く使われました。このように野州麻の利用は多様でしたが、産地により品質に違いが出るため、用途により使い分けがされていました。
現在、鹿沼産はじめとする野州麻の精麻の多くは神具様に用いられています。このほか下駄の芯縄、織物、弓弦、結納品の友白髪などの縁起物、凧糸、大相撲の横綱、太古や鼓をしばる紐、山車の引き綱などの特殊な用途に利用されています。また伝統的な建造物を復元する際の土壁の壁材などにも用いられています。かつて利用されていた漁網、釣り糸はマニラ麻や化学繊維の普及により今日ではほとんど見ることはできません。
大麻は精麻だけではなく、皮麻や麻殻、精製時に出る麻垢なども利用されていました。成長しすぎた麻の繊維は皮麻とよばれ、畳の縦糸として広島、岡山、東京、大阪に出荷されていました。麻殻は屋根材や使い捨てカイロが出来る前の携帯用懐炉の燃料の灰である懐炉灰などに用いられていました。麻はぎの際に折り取った短い麻殻は、以前は畑の肥やしとしていましたが、現在では花火の火薬の原料などに利用されています。麻垢はかつてはタバコの巻紙や土壁の混入材、100円紙幣の原料などに使われていました。
麻の実は主に食用として利用されています。最近ではさまざまな生活習慣病を予防・改善する新しい健康食品として注目されています。大麻はかつての需要はなくなり、生産量が減少していますが、近年、各地で新しい製品の開発が進められ、大麻の良さを見直す動きが出てきています。」(全文掲載)

現代の推奨産業にはつながることが出来なかった大麻ですが、麻は種まきから収穫期間が110日と成長が早く、さらに立派な根を張る事から、説明文中にもありますが商売繁盛・子孫繁栄として結納品の友白髪、大相撲の横綱、神社の注連縄など縁起物としての利用が現在では大半をしめているそうです。
大麻というと法に触れるように感じますが、館内を案内してくださった方は小さい頃は大麻産業の中で育ち、製麻をしている場所には近づいてはいけないと戒められて育ったそうです。産業にかかわる人々も体調異変もあったそうですが、大体は慣れていったようですね、というお話でした。栃木県といえば苺ですが、かつての大麻産業の多くが苺農家になっているということでした。

                               

掬翠園
Kikusuien




ツバメの巣
swallow

July 2007 瀧山幸伸  source movie

  


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