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栃木県壬生町 車塚古墳

Kurumazuka kofun,Mibu town ,Tochigi
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Jan.2015 瀧山幸伸 source movie

                        

 

             


Sep.22,2012  田中康平

国指定史跡 指定年月日:1926.02.24(大正15.02.24) ,追加指定年月日:昭和53.03.14

 平地ニ築レタル圓墳ニシテ封土ノ高サ三十二尺餘、徑二百四十尺周圍ニハ湟及壘ヲ存ス石室ハ凝灰岩ノ巨大ナル切石ヲ用ヰテ之ヲ築造ス南ニ向テ口ヲ開ク此ノ地方ニ於ケル圓墳トシテ規模壯大ナルモノノ一ナリ
大正15年2月24日史跡指定された車塚古墳は、平地に築かれた直径60メートル、高さ8メートルをはかる大規模な円墳であり、保存状況のきわめてよい古墳である。墳丘頂には平坦面があり、墳丘斜面には葺石がみられる。墳丘南面に巨大な切石を用いた横穴式石室が開口しており、この地域の後期古墳を窺う完好な古墳として重要である。
 調査の結果周濠の外周に幅7.5メートル前後の外堤のめぐることが確認されているので、この部分を追加するものである。(国指定文化財等データベース 説明文)
車塚古墳は、栃木県を代表する古墳時代後期(今から約1400年前)の大円墳です。墳丘は三段に造られ、墳丘第一段の平坦面(基壇)が幅広くつくられているのが特徴です。古墳の大きさは、直径が82m、堀(周湟)の底からの高さが約11mあります。墳丘の周囲には、ほぼ完全な形で円形に堀と土塁(周提帯)が廻り、土塁を含めた古墳総全長は約120mに達します。墳丘南側には、巨大な凝灰岩の一枚石を使った横穴式石室が開口しています。石室の奥壁面には赤く色が塗られていた痕跡が認められます。石室については、江戸時代の古文書などから、当時すでに開口していたことが記されています。現在、車塚古墳は多くの木立におおわれていますが、古墳がつくられた当時は、墳丘全体が石でおおわれその姿はこの地を治めた権力者のお墓にふさわしいものであったと考えられます。
(壬生町教育委員会 説明文より)

車塚古墳は従来径60mの円墳とされてきたが実際には径80mあり、さらに周溝と外堤をめぐらせた終末期にかぎれば日本列島最大の円墳であることなどが明らかになった。(「関東地方における終末期古墳の研究」白石 太一郎、1988 より)

下野国分寺の北に位置する。付近には縄文の遺跡も発見されており、古くより人が集落をなし豪族が勢力を保っていたとみられる。

                 


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