栃木県小山市 摩利支天塚古墳
Marishitenduka old burial mound Oyama city/Mibu town,Tochigi
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Jan.2015 瀧山幸伸 source movie
Oct.4,2012 田中康平
栃木県小山市飯塚
国指定史跡 指定年月日:19780721
栃木県南部の平野地帯は、大古墳や国分寺などが所在する下野国の中心的地域である。本古墳は、この地域のうち最も南に位置する前方後円墳で、すでに史跡に指定されている琵琶塚古墳の南方100メートルの近さにあり、両者は同形同大で、その方向を一にする点など、両者が密接な関連をもつものであることを思わせる。古墳は西南に面し、長軸の長さ約120メートル、後円部の直径約70メートル、高さ10メートル、前方部の幅約70メートル、高さ6メートルである。墳丘の東側から北側にかけて、幅約25メートルの空濠が認められる。
本古墳は後円部頂上に摩利支天をまつる社殿がつくられ、それに至る参道・石段によって若干の改変が加えられているが、旧態をよくとどめており、本地域における典型的な中期古墳であるといえる。(国指定文化財等データベース 説明文)
摩利支天塚古墳は、隣接する琵琶塚古墳とともに県内で最大の規模を誇る大形の前方後円墳です。後円部の墳頂には後年になって摩利支天社が祀られ、今に至っています。
墳丘は自然の微高地を利用して築かれたもので、その周囲には幅20mを越える大規模な周湟がめぐらされています。この周湟は調査の結果、部分的に二重になっていることがわかりました。
また墳丘上には、円筒埴輪が列を成して存在していました。これらの埴輪や古墳の形状から、この古墳の築造年代は、5世紀末から6世紀初頭と推定されます。
このような巨大な古墳の被葬者は、大和王権による支配体制の中で、下毛野国をはじめて統括した大首長であったとも考えられています。
墳形 前方後円墳 全長約117m
前方部 幅約75m 高さ約7m
後円部 直径約70m 高さ約10m
栃木県教育委員会 (現地案内板)
後円頂上部に神社が建てられており全体に保存状態は良く比較的みやすい。隣の琵琶塚古墳より古いと考えられている。いずれにしろ倭の五王の終わりの頃の時代で大和朝廷の力が地方にも及強まってきた時代と思われる。