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徳島県藍住町 勝瑞城館跡
Shozui jokan ato,Aizumi town,Tokushima


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Jan.12,2016 瀧山幸伸 source movie

徳島県板野郡藍住町勝瑞は、室町時代後半に阿波国守護の細川氏が守護所を置いた地で、阿波国の政治・経済・文化の中心地として栄え、戦国時代に阿波国支配の実権を握った三好氏もこの地に城館を構えた。阿波細川氏、三好氏は、細川政元、三好長慶らの要請をうけて、勝瑞から畿内近国へたびだび出兵した。守護所勝瑞は、天正10年(1582)に長宗我部氏の攻略を受けて焼亡し、江戸時代に徳島に城下町が営まれると急速に衰退した。勝瑞城館跡は、旧吉野川と吉野川、中富川に囲まれた標高約2.5mの微高地上に占地し、三好存保が長宗我部氏の侵攻に対抗するために築城したと考えられる勝瑞城跡と、三好氏の居館跡と推定される勝瑞館跡とからなる。
 勝瑞城跡は、東西約105m、南北約90mの不整方形を呈し、周囲に幅約14mの水濠が巡る。大部分が三好氏の菩提寺の見性寺の境内地となっていることから、細川氏の守護館跡で、三好氏の居城に継承されたと考えられていたが、藍住町教育委員会が平成6年から発掘調査を実施したところ、1580年頃の築城で短期間で廃絶したことが判明した。この調査結果を承けて、町教育委員会は勝瑞一帯の地籍図と微地形の調査を実施し、勝瑞城跡の約150m南西側の微高地で東西に隣接する2箇所の方形地割りを確認した。
 町教育委員会と徳島県教育委員会は、平成9年度から12年度にかけて西側方形区画の発掘調査を行い、幅約12mの濠に囲まれた、東西約120m、南北約150mの方形館跡であることを確認した。館内の南西部では庭園遺構とこれに面する会所跡と推定される桁行7間、梁間4間半の礎石建物跡を検出した。北西部でも館の主が日常生活を営んだ常御殿の一部と推定される桁行5間以上、梁間4間の礎石建物跡を検出した。会所跡の建物跡は焼土層に覆われており、出土遺物の年代から天正10年の長宗我部氏の阿波侵攻による焼亡と推定される。濠と庭園遺構の構築年代は16世紀後半と推定され、三好義賢が阿波国支配の実権を握った天文21年(1552)頃に時期的に符合する。焼土層の中からは多量の京都系のかわらけ、青磁・白磁・染付碗皿、天目茶碗、武具類、銭貨などが出土している。
 西側方形区画は、東西約1丁、南北約1丁半に相当し、山口市の大内館跡に匹敵することから守護クラスの居館跡と考えられる。勝瑞城館跡は、阿波国の戦国時代の政治・経済・文化の中心となった三好氏の居館跡とそれを守る平城跡であり、遺構の遺存状態も良好である。四国及び畿内近国に勢力をふるった三好氏の本拠地であり、三好氏と長宗我部氏の抗争の舞台としても重要である。よって史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。
 勝瑞城館跡は旧吉野川と吉野川・中富川に囲まれた標高約2.5mの微高地上に立地する二つの城館遺跡からなる。勝瑞城跡は、三好存保が長宗我部氏の侵攻に対抗するために築城したと考えられ、周囲に水堀と土塁を巡らす。その南西すぐに位置する勝瑞館跡は、三好氏の居館跡と推定されるものであり、このたび追加指定を図ろうとするのは既指定地の東側隣接地部分である。
勝瑞館跡は発掘調査の成果や地籍図にみえる地割などから、東西約120m、南北約150mの方形居館と推定され、その東側隣接地で居館の存在が推定されていた。史跡指定後、東側隣接地の発掘調査を進めたところ、幅13mほどの南北溝を介して大規模な庭園遺構と礎石建物が新たに確認された。庭園の池は東西約40m、南北約30mにひろがる。この池は東西15m、南北20mほどの部分と、これに取り付く「つ」の字状に屈曲した幅約5mの溝状の部分にわかれる。前者の北岸は直線的に三段以上の石積みがあり、汀には拳大の礫を敷き詰めた州浜も認められる。吉野川南岸地域で産出する緑泥片岩や、海蝕痕のある石も用いられている。池の北方約20mの位置に礎石建物がある。礎石は一部存在しないものがあり、全体の規模は不分明ながら東西8間、南北6間程度と推測される。
庭園と礎石建物は出土遺物からみて16世紀中葉に造営され、後半に廃絶したことが知られる。この西側の既指定地部分にある庭園と会所と推定される遺構と同時に機能していたと考えられる。遺構の内容からみて、このたび確認された東側の区画が居館の中枢部の可能性もあり、勝瑞館跡は当初推定されていたよりも大規模であり、内容も豊富であることが判明した。よって、この部分を史跡に追加し、保護の万全を期そうとするものである。
(文化庁データベース)

道路の北側、現見性寺周辺区域
                        

道路の南側区域
                                               

 


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