東京都台東区 浅草神社
Asakusa Jinja Taitoku,Tokyo
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台東区浅草2-3-1 浅草神社 本殿及び幣殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 慶安2(1649)頃 "本殿 三間社流造、銅板葺幣殿 桁行三間、梁間一間、一重、前面入母屋造、背面本殿に接続、銅板葺" 19461129
台東区浅草2-3-1 浅草神社 拝殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 慶安2(1649)頃 桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺渡廊1棟 19461129
Dec.10,2021 瀧山幸伸 source movie
狛犬の調査
所在地 東京都台東区浅草二丁目3
浅草寺二天門(重要文化財)慶安2(1649)頃の建築
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺
浅草神社拝殿、幣殿、本殿(重要文化財)拝殿慶安2(1649)頃の建築
桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺本殿及び幣殿慶安2(1649)頃の建築
本殿 三間社流造、銅板葺
幣殿 桁行三間、梁間一間、一重、前面入母屋造、背面本殿に接続、銅板葺
東京都台東区浅草二丁目3撮影:Nov.13.2014 祭神:土師真中知命(はじのあたいなかとも)・檜前浜成命(ひのくまのはなまりのみこと)・檜前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)および東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀する。
社殿:国重要文化財浅草神社は浅草寺本堂右隣にある神社である。三社権現(さんじゃ ごんげん)、三社様(さんじゃ さま)が通称名で親しまれている。
5月17日の例大祭である三社祭は特に有名。明治の神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年に三社明神社に改称、明治5年に郷社に列し、明治6年に現在の浅草神社に改称した。歴史
『推古天皇36(628)年3月18日、隅田川で漁をしていた檜前浜成・竹成兄弟の投網に観音ご尊像が現出なされました。郷長の土師真中知は、これを拝して篤く敬い、自宅に奉安し朝夕に礼拝、その生涯を安楽に終えました。
真中知の歿後、嫡子が観音様から夢告を受け、それ以来、祖先神、郷土神を祀る「三社権現社」として篤く祀られることになったと伝えられています。
明治の神仏分離令により「浅草神社」と改称しました。
その創建時代には不明なところもあるようですが、鎌倉初期が通説となっています。』浅草神社では江戸三大祭の一つ「三社祭」が、「火事と喧嘩は江戸の華」といわれる江戸っ子の心意気を示して、神と人が一体となって行われる。
この三社祭の歴史は古く、一説には1312(正和元)年の船祭に始まるともいわれているが、江戸期に入って三代将軍徳川家光の社殿ならびに神輿 の新たな造営を機に江戸市中の一大イベントとなった。社殿
社殿は浅草寺の本堂の東側にある。現存の社殿は徳川家光の寄進で慶安2年(1649年)に完成したもの。
本殿、幣殿、拝殿からなり、幣殿と拝殿が渡り廊下でつながれているいわゆる権現造りと呼ばれる建築様式で、日光の東照宮などがこれにあたる。
昭和36年に拝殿・幣殿・本殿が国の重要文化財に指定された。
残念ながら外部から社殿は見えにくいが、第三代徳川将軍家光公により、1649(慶安2)年に建立寄進された社殿は 度重なる火災や戦争、関東大震災などの被害を免れ350年たった現在も当時の面影をそのままに残しているとされる。
社殿には数多くの霊獣が描かれている。鳳凰・麒麟・飛龍、などほとんどが架空の動物で、いずれも平和の象徴であったり人々の幸福を願う存在である。
浅草神社の祭礼で、日枝神社の山王祭、神田神社の神田祭とともに、「江戸三大祭」の一つに数えられる。
一日目—名物大行列(お囃子屋台、鳶頭木遣り、びんざさら舞、白鷺の舞など)が浅草の町を歩く。
二日目—神社でお祓いを受けるために、氏子各町大小約100基の神輿が集合する連合渡御がある。
三日目—本社神輿の各町渡御がある。
祭りの様子 (浅草神社HP・ウイキペデアより引用)
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