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東京都台東区 浅草寺

Asakusa Sensouji,Taitoku,Tokyo

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 ニ天門(重文)
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台東区浅草2-3-1 浅草寺二天門 重文 近世以前/寺院 江戸前期 慶安2(1649)頃 三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺 19461129

台東区浅草2-49 浅草寺伝法院 客殿 重文 近世/寺院 江戸後期 安永5(1776) 桁行22.0m、梁間15.3m、一重、寄棟造、西面葺きおろし下屋、北面物置、廊下及び庇附属、鉄板葺扁額1面 安永七年一〇月八日 20150708

台東区浅草2-49 浅草寺伝法院 玄関 重文 近世/寺院 江戸後期 安永6(1777) 桁行20.2m、梁間11.6m、一重、入母屋造、西面及び南面庇付、東面玄関附属、唐破風造、桟瓦葺 20150708

台東区浅草2-49 浅草寺伝法院 大書院 重文 近世/寺院 明治 明治35(1902) 桁行22.1m、梁間11.1m、一重、寄棟造、東面葺きおろし下屋、東面渡廊下附属、桟瓦葺襖8本、旧下地桟8組 20150708

台東区浅草2-49 浅草寺伝法院 小書院 重文 近世/寺院 明治 明治35(1902) 桁行12.1m、梁間7.7m、一重、切妻造、東面及び南面渡廊下附属、各切妻造、桟瓦葺 20150708

台東区浅草2-49 浅草寺伝法院 新書院 重文 近世/寺院 明治 明治35(1902) 桁行10.6m、梁間9.5m、一重、入母屋造、四周庇付、北面渡廊下附属、桟瓦葺 20150708

台東区浅草2-49 浅草寺伝法院 台所 重文 近世/寺院 江戸後期 安永6(1777) 桁行30.3m、梁間8.7m、一重、南面入母屋造、北面切妻造、桟瓦葺、東面渡廊下及び便所、北面渡廊下及び便所附属、鉄板葺 20150708


Apr.4,2024  瀧山幸伸  source movie

二天門から入り、浅草神社に寄り、浅草寺へ
                

奥山商店街へ

    

 


Dec.10,2021 瀧山幸伸  source movie

                               

 

        

隅田川とスカイツリーなど

       


Apr.4,2017 柚原君子

浅草寺伝法院

Sensoji Denpoin

   

                                                                                                                                                                                


Aug.15,2015 瀧山幸伸 source movie

                                                                                                            


Jan.2015 中山辰夫

東京都台東区浅草2−3−1撮影:Nov.13.2014 宗派:聖観音宗総本山(元は天台宗) 本尊:聖観音菩薩(観音菩薩を本尊とすることから浅草観音、浅草の観音さんと通称される)周辺地図

    

相変わらずの人出である。平成24年は1000万人を越えた海外からの旅行者の定番コースのためか、参詣者?は年々増加しているとか。

約1400年の歴史があり、年間約3000万人の観光客が訪れると言われるが納得できる。江戸時代には幕府の祈願所でもあり、町人文化の発信地であった。江戸時代の風情が感じられる場所である。

●雷門通り周辺

    

雷門は、942(天慶5)年、武蔵守・平公雅により初めて建立された浅草寺の総門である。現在の門は、1865(慶應元年)の大火で焼失後、95年を経て1960(昭和35)年に松下幸之助により再建されたものである。本瓦葺、切妻造、八脚門、鉄筋コンクリート、合成樹脂塗装

   

大提灯は浅草のシンボル。2003(平成15)年江戸開府400年を記念して11年ぶりに新調された。高さ約3.9m、直径約3.3m、重さ約700kg。現在で6代目。そこには竜の彫刻が施されている。提灯は、三社祭の時と台風到来の時だけ畳まれる。

    

門に向かって右側が風神像、左側が雷神像が建つ。背中合わせに金龍・天龍像が建つが、松下電器産業(現・パナソニック)の寄贈である。

●仲見世通り

日本最古ともいわれる商店街の一つ。雷門から宝蔵院までの約250mの通りに、約88店舗の店が並ぶ。表通りと裏通りの対比である。

          

●宝蔵院

左右に仁王像を祀ることから「仁王門」とも呼ばれる浅草寺の山門である。戦災で焼失した後、1964(昭和39)年に実業家・大谷米太郎夫妻の寄進により再建された。入母屋造、和様三手先五間三扉重層門。鉄筋コンクリート、合成樹脂塗料仕上げ。

内部3層のうち上部2層は収蔵庫になっており、国重要文化財の「元版一切教」や釈迦如来像が納められている。

    

提灯は2003(平成15)年に新調された。高さ約3.7m、幅2.7m、重さ400Kg、日本橋小舟町の有志が寄付を募り奉納した。

左右の金剛力士(仁王)像のうち、右(東)の吽形(うんぎょう)像は木彫家・村岡久作の作である。門の背面左右には、魔よけの巨大な大わらじが吊ってある。これは村岡久作が山形県村山市出身である縁から、同市の奉賛会により製作奉納されているもので、高さ4.5m、重さ500Kgといわれる。

    

■本堂

本尊の聖観音像を安置するため観音堂とも呼ばれる。旧堂は1649(慶安2)年の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたが、東京大空襲で焼失した。現在の堂は1958(昭和33)年の再建。鉄筋コンクリート造である。

外陣には川端龍子(かわばたりゅうし)筆「龍の図」、堂本印象筆「天人散華の図」の天井画がある。

        

外陣には川端龍子(かわばたりゅうし)筆「龍の図」、堂本印象筆「天人散華の図」の天井画がある。

    

志ん橋大提灯は、新橋の方々からの奉納提灯で、2004(平成16)年、10年ぶりに新調され寄進された。高さ約4.5m、直径約3.5m、重さ約600Kg

浮世絵師・広重「浮絵浅草寺雷門之図」には、新橋から奉納された、「志ん橋」大提灯が描かれている。現在、掛かっている「志ん橋」大提灯は広重の浮世絵に描いていたデザインに立ち返っている。

    

■五重塔

最上階に仏舎利を納める、高さ約53mの仏塔。建物の上に塔が建つ塔院造りで、内部は一層毎に霊牌伝になっている。

震災で焼けた国宝・旧五重塔に代わり、1973(昭和48)年に建立。

              

徳川三代将軍家光が建立した旧五重塔は本殿に向かって右側に建つ。

 

■二天門

国重要文化財

本瓦葺、切妻造。木造朱塗り八脚門

元は東照宮の随身門で、1649(慶安2)年頃の建立とされる。戦災を免れたため、建立当時の姿を留める。額は太政大臣 三条実美筆

 

増長天(左)・持国天(右)(慶安時代作・都重宝)寄木造である。

        

●影向堂(ようこうどう)と淡島堂

    

影向堂は、戦後の仮本堂であった旧影向堂を移築・改築したもの。聖観世音菩薩と十二支それぞれの守本尊8体を祀る。

現在の堂は平成6年に浅草寺の中興開祖・慈覚大師の生誕1200年を記念して再建された。

淡島堂では毎年2月8日に針供養が行われる。

●六角堂と六地蔵石幢

都指定有形文化財

六角堂は、室町時代の建立とされ、浅草寺境内で最も古い遺構。都内23区で最古の木造建築で、珍しい六角型造である。本尊は日限地蔵尊。

    

●銭塚地蔵と宝篋印塔

    

銭塚地蔵は、関東大震災に際し堂宇は消失し、地蔵尊、石塔共に全体が磨滅したが、それ以前は石塔の銘文が判読できた。それには、「摂州有馬・山口銭塚正徳三年」とあり、塔の下には「寛永通宝」が埋めてあったと伝えられ、「銭塚」の名がある。1964(昭和39)年再建。

宝篋印塔は、凡そ1000人の信徒で1761年に建立された。1907(明治40)年に改宗再建された。中には経典が納められている。

●金龍権現と九頭龍権現、西仏板碑、三峰神社、三尊名号供養塔

    

二つ権現が並んだ場所はパワースポットとされる。

西仏板碑は、14世紀頃造立者・西仏が自らの妻子の後世安楽を祈念して造立したとされるが詳細不明。

三峯神社派、秩父三峯神社の末社。江戸時代には火事が多く、火防祈願の三峯講が多くあり、三峯信仰の信者がお参りできるよう勧請したもの。

●正観音菩薩碑、川口松太郎句碑、久保田万太郎句碑、二尊仏

    

二尊仏は、1687年尾建立。観音菩薩と勢至菩薩(左)。高さはどちらも2.36m、台座を含めると4.54m

●夫婦狛犬(めおと)

   

相合傘で仲良く並ぶ夫婦狛犬。この狛犬は横に並んでいる。 詳細不明

●石橋

    

東京都内最古の石橋。1618年の造立

●一言不動

 

1725年建立。願い事をただ一つだけお願いする戸叶えられるとか。

●鳩ポッポの歌碑

 

●伝法院と鎮護堂

浅草寺の本坊。1777(安永6)年建築の客殿・玄関や1871(明治4)年築の大書院、浅草寺貫首(かんす)大僧正の居間などがあり、「伝法院」はこれらの総称。約3700坪の回遊式庭園は小堀遠州の作と伝えられる。

      鎮護堂は、防火・盗難除け、商売繁盛にご利益があり、お堂の傍に二匹のたぬきおり、別名「おたぬきさま」とも呼ばれる。

      

●公孫樹(いちょう)

  

樹齢八百余年といわれ、源頼朝公が浅草寺参拝の折、挿した枝から発芽したと伝えられる。

1930(昭和5)年に天然自然記念物に指定されたが、戦災で被災し、指定は取り消されたが、あの戦災をくぐり抜けた神木として、今も多くの人々に慕われている。

●浅草寺界隈から見る東京スカイツリー

          


Aug.2010 柚原君子

浅草寺門前

Sensoji monzen

まだまだ十分にバタ臭さと胡散臭さを残しています。

      

花やしき

Hanayashiki

                

伝法院

Denpoin

浅草寺の本坊。安永6年(1777)建築の客殿・玄関や明治4年(1871)築の大書院、浅草寺貫首(かんす)大僧正のお居間などがあり、「伝法院」はこれらの総称。もとは観音院、智楽院などと称したが、元禄(1688〜1704)以後この名が付けられた。

 客殿に阿弥陀三尊をまつり、その左右に徳川歴代将軍のうち歴代11名の位牌及び浅草寺各世代住職の位牌を安置する。回向道場として追善法要や、伝教大師忌の「山家会(さんげえ)」・天台大師忌の「天台会」などの論義法要が行われ、当山の修行道場でもある。

 約3,700坪の庭園は、寛永年間(1624〜44)小堀遠州(こぼりえんしゅう)により作庭されたと伝えられる「廻遊式庭園」である。

※現在は非公開 

 --------浅草寺HPより--------

■非公開ですが現在浅草寺が修理をしています。関係者にお訊きしたら、修理終了後のもしかしたら記念の公開があるかもしれないとのことでした。

         


Oct.2006 瀧山幸伸

      

            

   

     

Mar. 2006 瀧山幸伸  source movie

ニ天門(重文)

Nitenmon gate

  

               

伝法院通り

Denpouin doori

  

仲見世

Nakamise

   

  

楼門

Roumon

   

本堂

Hondou

    

     

五重塔

Gojunotou

       

    

 

    

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