Fujijinja,Bunkyoku,Tokyo
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Dec.12,2017 柚原君子
東京都文京区本駒込5-7-20
1573(天正元年)、本郷村(現在の文京区本郷)の名主、木村万右衞門が夢に木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を見たので、富士の浅間神社を本郷村に勧請したのが始まりの富士神社です。その後、1628(寛永5)年、加賀藩の藩主である前田氏が屋敷(上屋敷になったのは明暦の大火以降)を本郷の現在の東大のある地に頂いたので、富士神社を一旦は屋敷の外の本郷本富士町に移し、その後に現在の本駒込に移転したそうです。本富士町は現在の本郷の旧地名です。
富士塚は江戸期に盛んであった富士山信仰の一つで、岩で覆われた富士山を模した山の形態をとっています。富士神社の富士塚は他の富士塚よりカラフルで驚きますが、江戸時代後期に「江戸八百八講、講中八万人(えどはっぴゃくやこう、こうちゅうはちまんにん)」といわれるほど流行した富士講の中でも歴史あるもので、特に江戸の町の火消の間で深く信仰された富士塚でしたそうで、火消頭の組長などから奉納された町火消の纏(まとい)を彫った石碑が数多く飾られています。
富士塚の説明が神社の奥の方にありますので、通りからは「ああ、富士塚があるのね」だけで通り過ぎられてしまいそうですが、実はこの富士塚は古墳の跡という史実もあるそうで、富士塚正面の右側に意味ありげな洞も現存しています。
富士塚の説明板の横に、もう一つおもしろい説明板がありました。夢見の良いこと、特に初夢ですが「一富士二鷹三なすび」という、昔の人なら皆知っている縁起の夢見の話ですが、実はここが発祥だというのです(日本全国的には諸説有りますが)。江戸時代板橋区や豊島区は将軍が鷹狩りに出かけた地であったり、またその通り道であったりしたことから、ここ文京区の駒込の特に駒込病院の辺りには鷹匠の屋敷があったそうで、加えて駒込の地は江戸市中に野菜を提供する畑地で特にナスが有名だったこともあり、この冨士塚の富士と鷹とナスとで、「駒込は一富士二鷹三茄子」と当時の縁起物として川柳に詠まれたそうです。
晩秋の午後に朱色で描かれた纏(まとい)の石がたくさん奉納されている中、富士塚の急な階段を上がってみました。いくらか黄色味を帯びた竹の林が少しあり、その奥に終わりかけた紅葉が夕日に光っていました。さやさやとさやさやと風が吹いて、少しだけ江戸の香りがしたようでした。
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