JAPAN GEOGRAPHIC
東京都文京区 小石川後楽園
Koishikawa Kourakuen,Bunkyo,Tokyo
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Feb. 22, 2019 松田浩志 source movie
ここの梅園の現在の梅の木がいつ植樹されたものかは不明ですが、花色も多く 長く楽しめるように種類が多く植栽されています。
大泉水
梅園への道
梅園
愛宕坂
円月橋
Mar.22,2016 瀧山幸伸
Edited Movie Download (YouTube)
source movie
Nov 27, 2014 松田浩志 source movie
『江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の上屋敷の庭園として造ったもので、二代藩主の光圀(みつくに)の代に完成した庭園です。光圀は作庭に際し、民の儒者である朱舜水(しゅしゅんすい)の意見をとり入れ、中国の教え岳陽楼記(がくようろうき)の「(士はまさに)天下の憂(うれい)に先だって憂い、天下の楽しみに後(おく)れて楽しむ」から【後楽園】と名づけられました。
庭園は池を中心にした「回遊式築山泉水庭園(かいゆうしきつきやませんすいていえん)」になっており、随所に中国の名所を名づけた景勝を配し、中国趣味豊かなものとなっています。そして、これらによって湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されています。
この地は小石川台地の先端にあり、神田上水の分流を引き入れ築邸されました。また光圀の儒学思想の下に作庭されています。
なお、後楽園は昭和27年3月、文化財保護法によって特別史跡及び特別名勝に指定されています。特別史跡と特別名勝の二重指定を受けているのは、都立公園では浜離宮とここの二つだけです。全国でも京都市の鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、醍醐寺三宝院。奈良県の平城京左京三条二坊宮跡、広島県の厳島を合わせ7ヵ所だけです。』
都立公園・庭園庭園案内ホームページより転載
大堰川・通天橋周辺
得仁堂
小廬山
丸屋
大泉水周辺の風景・修復調査
九八屋
April 23,2014 松田浩志
円月橋で調査中の方によると周囲の木が大木となり、根が石橋に食い込み損傷を与えてとのこと。
植栽された以外の木々も成長し石橋をおおっているので、周りの景観も現在よりもっと明るかったのではとのこと。
また、橋に至る流れも何回かの改修をえているので、調査を必要とし、どの時点に修復するかは難しい問題だとのこと。
「考古学と同じですね」と言ったところ「考古学です」と笑われてしまいました。
藤棚・菖蒲田・稲田の風景
九八屋
大堰川・通天橋の風景
得仁堂
大泉水周辺・白井糸の滝・蓮池調査工事風景
円月橋調査工事風景
May 23, 2014 野崎順次
東京都文京区後楽1−6
特別史跡及び特別名勝
都立小石川後楽園
(Koishikawa-Korakuen Garden, Bunkyo-ku, Tokyo Pref.)
1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園を、嫡子の光圀が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。出典は『岳陽楼記』の「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」によっており、岡山市にある後楽園と全く同じである。
7万平方メートル以上の広大な園内には、蓬莱島と徳大寺石を配した大泉水を中心に、ウメ、サクラ、ツツジ、ハナショウブなどが植えられ、四季を通じて情緒豊かな景色が広がる。
また中国の文人たちが好んで歌った西湖や廬山も採り入れている。光圀は朱舜水を設計に参加させたといわれており、中国的、儒教的な趣好が濃厚である。
(ウィキペディア「小石川後楽園」より)パンフレットと現地説明板
大泉水(琵琶湖)の回りを時計と逆方向に見ていく。
June 9,2013 松田浩志
Feb.2012 松田浩志
小石川後楽園の概要
「江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の中屋敷(後に上屋敷となる。)の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に完成した庭園です。
光圀は作庭に際し、明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、中国の教え「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から「後楽園」と名づけられました。
庭園は池を中心にした「回遊式築山泉水庭園」になっており、随所に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国趣味豊かなものになっています。
また、本庭園の特徴として各地の景勝を模した湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されています。
この地は小石川台地の先端にあり、神田上水の分流を引入れ築庭されました。
また光圀の儒学思想の下に築園されており、明るく開放的な六義園と好対照をなしています。
なお、後楽園は昭和27年3月、文化財保護法によって特別史跡及び特別名勝に指定されています。
特別史跡と特別名勝の二重指定を受けているのは、都立庭園では浜離宮とここの二つだけです。
全国でも京都市の鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、醍醐寺三宝院、奈良県の平城京左京三条ニ坊宮跡、広島県の厳島、岩手県の毛越寺庭園、福井県の一乗谷朝倉氏庭園を合わせ9ヶ所だけです。
東京都公園協会ホームページより。
庭園のさまざまなところに配置された形態・色も様々な石の数々。
凝った枝ぶりの木々と共に庭園を見る楽しみの一つ。
庭園を巡り、次から次へと展開する景色を眺め、名所旧跡を思い起こす。
庭園巡りの楽しみも庭石種類や配置の知識もあればさらに楽しみが増すのでしょうが、とりあえず見るだけでも十分楽しめる。
雨上がりか、雪の後の湿り気を帯びた石の表情がなんとも味がある。
お目当ての円月橋はもっか修復中。橋の石と石の間に木の根が入り込んでいたとのこと。
ところで、庭園を取り囲むビル群を借景と呼ぶべきでしょうか。
小廬山
「一面ブンゴザサでおおわれた、円い築山。その姿、形が中国の景勝地・廬山に似ていることから江戸の儒学者・林羅山が名づけたもので、山頂より庭園を見おろせます。」 東京都公園協会HPより転載
突然、バッサと音が。何か動物でも現れたのかと思ってみると、枝降ろしの最中。
昼寝でもしたくなる曲線の笹山。昔、斜面で子供が遊んでいた風景があったように思えます。
大堰川
「この庭園で河の景色を代表する場所。その名は、京都嵐山の下を流れる大堰川にちなんでおり、昔は神田上水から水車で水を汲みあげて流していました。」東京都公園協会HPより転載
現在は地下水をくみ上げてながしているとのこと。ここでカワセミの姿を見かけました。
得仁堂
「この建物は、光圀18歳の時、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、伯夷、叔斉の木像を安置した堂です。得仁堂の名前は孔子が伯夷・叔斉を評して「求仁得仁」と語ったことによります。」東京都公園協会HPより
円月橋
「光圀があつくもてなした明の儒学者朱舜水が設計したといわれる石橋。水面に映る様子が満月のように見えるので、この名がつけられました。(現在は渡れません。)」東京都公園協会HPより
修復にも元の石と同じ新小松石(?)をしようし、周りの木々も
減らし、周囲を作られた当時と同じと思われる明るさに戻したのこと。
橋のカーブは半円よりも円に近く、水面に映る姿を含めて見ると、
円が際立つようにつくられているとのこと。
稲田
「園の北側地域は、景観が一変します。梅林、稲田、花菖蒲、藤棚の田園風景が展開します。庭園の中に稲田があるのは、後楽園だけでしょう。これは農民の苦労を、水戸光圀が彼の嗣子・綱条の夫人に教えようと作った田圃で、現在は毎年、文京区内の小学生が、5月に田植え、9月に稲刈りをしています。
」東京都公園協会HPより転載。
あぜ道の曲線が景観に花を添えています。
内庭
「水戸藩の書院の庭としてあった所で、昔は唐門をへだてて、大泉水のある「後園」と分かれていました。江戸時代は「うちの御庭」と呼ばれた、池を中心にした純日本式の庭園。昔の姿をそのままとどめているといわれます」
大泉水
「この庭園の中心的景観。蓬莱島と徳大寺石を配し、琵琶湖を表現した景色を造り出したもので、昔はこの池で舟遊びをしたといわれています」東京都公園協会HPより
この池の湖面でも、運と根気があればカワセミの姿を写真に撮れるとのこと。
Apr.2011 瀧山幸伸 source movie
A camera
ハクビシン
B camera
Mar.2010 瀧山幸伸 source movie
Oct. 2007 瀧山幸伸 source movie
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