JAPAN GEOGRAPHIC

東京都千代田区 柳森稲荷神社

Yanagimoriinarijinja,Chiyoda,Tokyo

Category
Rating
Comment
 General
 
 
 Nature
   
 Water
 
 Flower
 
 Culture
 
 
 Facility    
 Food
 
 


Nov.19,2025 柚原君子

 

柳森神社(柳森稲荷神社)
所在地:東京都千代田区神田須田町2-25‐1

1485(長禄2)年に江戸城東北方面鬼門除けとして太田道灌が京都の伏見稲荷大社を佐久間町一帯に植樹した柳の森の鎮守として勧請して創建。徳川家より社殿造営の寄進を受けるなどして烏森神社・椙森神社とともに江戸三森の一つとして崇められた。
1659(万治2)年神田川が掘割された際に当地に移転。柳の木も同時に移植されて江戸の名所になった(景勝地;柳原堤)。現在の柳森神社の正面右にも大きな柳の木がある。

■拝殿
昭和5年に建立。同59年に半焼し同61年修復。
軒下は鮮やかな彩色。道路側から見られる拝殿左下には壁には漆喰を使った左官の装飾技術である鏝絵(こて絵)が見られる。登竜門の語源となった鯉の滝登りをあらわしている。決め込みが多いのが特徴池戸庄次郎の作。「思楽」の落款。
そのほか柳森神社の境内の様々な文化財がある。
■福寿神
「おたぬさん」の呼び名。妊娠中のおなかの大きい狸が鳥居の脇にいて安産の神でもある。江戸幕府五代将軍・徳川綱吉の時代に、生母であった桂昌院により江戸城内に「福寿いなり」として創建されてその後に一か所移転ののち明治二年にここに合祀された。桂昌院は八百屋の娘で、春日局に見込まれ三代将軍・徳川家光の側室となった。玉の輿の由来の語源になっている。たぬきはまた「他」を抜くという意味にもとれるところから当時は大奥の女中から玉の輿に乗った「お玉」にあやかりたいと女中衆がこぞって参拝したが、現在は勝負事や立身出世、金運向上にご利益があると信奉されている。
■力石群は千代田区有形民俗文化財指定。
力石とは一定重量の大小の円形または楕円形の石で、村の鎮守、神社境内、会所や村境などにあって、若者たちが鍛錬や娯楽(力試し)として用いた。
■富士講関連石碑群(千代田区指定文化財)
富士講は、富士山を信仰する人々で結成した集団。富士塚は、富士山と同じ浅間神社が祀られているため、その傍らに関係する講の記念碑。富士山信仰が盛えたのは江戸時代。しかし実際に富士に行くのは困難で、人々はミニチュアの富士塚に登って信仰儀礼や、代参者の安全祈願をした。柳森神社の富士塚全般はないが鳥居の下の石段脇に多少残されている。
■境内の外側にある石碑
関東大震災までの頃この周辺には柳町、小柳町、元柳原町、向柳原町、柳原河岸など、柳にちなんだ町名が多くあったことが実証される石碑である。

階段を下りていくと下り宮となる。拝殿の奥には民家もあり、人が住まう気配はある。もう少しきれいにまとまらないかなぁとも思える。  

                                                        

 

  All rights reserved 無断転用禁止 通信員募集中