JAPAN GEOGRAPHIC

東京都墨田区 墨田堤、向島界隈

Sumida Tsutsumi, Mukoujima and vicinity, Sumidaku,Tokyo

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永井荷風の世界 伊勢物語 在原業平 都鳥の由来
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Dec.10,2021 瀧山幸伸  source movie

牛嶋神社、隅田公園、三囲神社

 

牛嶋神社

                                                    

隅田公園

               

三囲神社

                             


Mar.23,2021  柚原君子

牛嶋神社

所在地:東京都墨田区向島1-4-5
東京都神社名鑑の説明。
『貞観二年(860)慈覚大師が御神託によって須佐之男命を勧請して創祀し、のち天之穂日命を祀り、ついで清和天皇の第七皇子貞辰親王がこの地でなくなられたのを、大師の弟子良本阿闇梨があわせてお祀りし「王子権現」と称した。治承四年(1180)九月源頼朝が大軍をひきいて下総国から武蔵国に渡ろうとした時、豪雨による洪水のために渡ることができなかった。その時武将千葉介平常胤祈厳し、神明の加護によって全員無事に渡ることができたので、頼朝は翌養和元年(1181)に社殿を造営し、多くの神領を寄進した。
天文七年(1538)に後奈良院より「牛御前社」という勅号を賜わったといわれる。江戸時代は鬼門守護の社として将軍家の崇敬があつく、将軍家光は本所石原に社地を賜わりお旅所とした。明治初年以後牛嶋神社と称し、本所総鎮守として崇敬されている。大正12年関東大震災で社殿等が炎上し、次いで帝都復興計画で隅田公園ができたため、向島一丁目(旧水戸邸跡)に移転、昭和7年現在の社殿が完成した。』

昭和7年に完成した社殿はその後の第二次世界大戦の空襲から免れて現在も残っています。
墨田区本所地域の総鎮守として、氏子五十町の守護神。もちろん氏子内にある東京スカイツリーの氏神様でも有ります。

祭礼は9月15日で5年に一度の例大祭になると本物の黒牛が登場します。そして鳳輦を引いて町内を2日間練り歩きます。お賽銭を投げ入れるリヤカーもついているので(笑)、道々で投げ入れて拝んでいる人々の姿も風物です。
隅田公園の中にすっぽりと有るような神社ですので、遊びに来た人々の参拝も多いです。

隅田公園内を言問橋に向かって歩くと鳥居が見えてきます。
鳥居の脇にもう一つの鳥居が半分こになって左右につけられている形の三輪鳥居(みわとりい)です。普通の明神鳥居に脇鳥居を付けたものですが、奈良県桜井市三輪の大神神社(おおみわじんじゃ)にある鳥居を標準とすることからこう呼ばれています。珍しい形で埼玉県秩父市の三峯神社、奈良県桜井市の檜原(ひばら)神社などがあげられるのみで全国的に見ても少ない形です。
しかし、2018年9月の台風で鳥居はまさかの倒壊。その後再建されて総檜で完成。

牛嶋様のいろいろなところに付いている紋は二種類。鳥居にも付いています。「丸に剣方喰(けんかたばみ)」と「九重菊」。かたばみは根付くと取っても取っても新しい芽をだしますので子孫繁栄に。特に武将たちには剣の付いて剣方喰として好まれた紋です。
「九重菊」は縁起が良いとされる吉祥文様(きっしょうもんよう)です。
神社内は屋根の付いた垣根(瑞垣)で本殿などが守られて要所要所に明神鳥居があり、鳥居が多い神社の印象があります。

狛犬は獅子山の上にあるものと、よくある台座にのっている物と二つ。牛嶋神社ですので狛牛もいます。食用の牛を供養する牛塚も立派です。あちらこちらに牛がいっぱいいる様子ですが、撫で牛と呼ばれるのは本殿向かって右に。よだれかけを着けています。子どもが生まれるとよだれかけを奉納して健康を願うというもの。

撫で牛の風習は江戸時代から有り、1815(文政8)年頃に奉納された牛だそうですので牛齢206。長生きにも効果がありそう!とても優しい牛の笑顔に癒やされます。

当日は婚礼があり、お支度をした新ご夫婦が巫女さんに先導されて拝殿に向かうところでした。参拝客からも拍手いっぱいでした。たくさんの幸あれ!!と見守りました。

                                                                                            


Mar.23,2021 柚原君子


浩養園跡(現墨田区役所&アサヒビール)

所在地:東京都墨田区吾妻橋1-23
アサヒビールの炎のオブジェは別名をいろいろ言われながらも、背後にスカイツリーがそびえ立ち見栄えがいいです。墨田区役所庁舎はアサヒビール本社の左側、右側は住宅都市整備公団ビルです。
そして目の前には雄大な隅田川。吾妻橋を渡れば浅草寺があり外国人観光客も多いところです。

この一帯は向島佐竹園と呼ばれたところで、大川(隅田川)の先に浅草寺の五重塔が見られる景勝地でした。区役所の隅田公園側をでると、各藩の屋敷として移り変わった後に明治になり札幌麦酒工場になった経緯の立て札があります。

以下全文です。
『この地は常陸谷田部藩細川氏・駿河沼津藩水野氏・越前福井藩松平氏・秋田藩佐竹氏の屋敷として移り変わり、とりわけその邸内の庭が名園として聞こえていました。文政5年(1822)水野忠成の別邸となって、池を中心に石をふんだんに用いた林泉式庭園を築造。丘を築き、浅草寺五重塔・隅田川吾妻橋を望むものでした。万延元年(1860)佐竹氏に移り、浩養園・佐竹の庭として一層有名となり、明治23年から一般公開もされ、多くの人々の憩いの場ともなっていました。その後、明治33年(1900)札幌麦酒東京工場がここに設置され、明治39年(1906)には第二本麦酒吾妻橋工場となり、煉瓦造りの建物が庭園のなかばを占めました。大正9年(1920)の工場拡張やつづく震災によって、その面影は失われました。平成に入って墨田区役所・アサヒビール本社・住宅都市整備公団ビル等も建ち、現状のようになりました。平成3年(1991)3月 墨田区』

墨田区役所庁舎の前には若き日の勝海舟の銅像があります。江戸城を無血開城に導いた晩年の像はよく見ますが青年の像は珍しいのでは?と思います。

墨田区は勝海舟が生まれた地で、現在の両国高校の場所です。その後は7歳頃に赤坂に移っています。墨田区役所前に立つ像は大きく彼の生きた年譜もきちんと石に刻まれています。像の下に立つと、青年勝海舟が指さす方角を思わず見てしまいます。

庁舎内ではちばてつや氏の漫画「あしたのジョー」を折り鶴で描いた大きな壁画がありました。
実は墨田区を歩くと鬼平犯科帳の説明とあしたのジョーの垂れ幕が非常に多いことに気がつきます。ちばてつや氏は庁舎の裏がわの隅田公園近くの小梅小学校に通っていたこと、東京オリンピックのボクシングが両国国技館で行われること、オリンピックが開催されるはずだった2020年があしたのジョーの50周年であったことなどが墨田区と結びつけられた理由です。

折り鶴ですから、平和を願う祈りもあります。近寄ってみると解りますが折り鶴のの一つ一つは小さいです。離れてみる絵は圧巻です。

オリンピックが民意からほど遠い中で開催されようとしていますが、コロナが広がらないように、オリンピック後も平和な日常が続くように祈るばかりです。

                                                                                          


Mar.23,2021 柚原君子


隅田公園(すみだこうえん)


所在地:向島一丁目、二丁目、五丁目
隅田川の横にある隅田公園を含む一帯は、古代、秩父連峰、三国山脈、日光連山などを水源として幾筋もの川が出来、東京湾に砂を運んで出来た地帯です。

平安時代の『伊勢物語』では、船の上の在原業平が、「名にしおはば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」と詠んだとされています。江戸時代の前の安土桃山時代には小田原の北条氏の領地として牛御前と呼ばれる牛嶋神社に表されるように、放牧や農業(田畑)を営む地域として発展していきます。

江戸時代三代将軍家光の頃から鷹狩りなども行われるようになり、江戸市民の景勝地となっていきます(一帯は浅草……浅い海、曳舟……舟が舫われている、押上……汐が押し上げる、亀戸……亀島、柳島、など海に近い陸地であった名残りが今も地名にあります)。

江戸時代、四代将軍家綱のころになると隅田川べりは墨堤と呼ばれて桜が植えられ始め、八代将軍徳川吉宗の頃には上野寛永寺・飛鳥山・御殿山等とともに江戸の桜の名所として親しまれていきます。

また江戸に火事が多かったことから隅田川(当時は大川)の対岸の深川を飛び地として焼け出された人々が仮の住居とし、元住んでいた町並みが整うと帰って行ったそうで架かる橋を大橋と呼んでいましたが、大川を挟んで武蔵国と下総国に分かれていたことからいつのまにか両国橋という俗称がつき現代もそれを使用しています。
その名残は一つ向こうに新大橋という名前で残されています。
橋のたもとのには火除け地も設けられて、両国橋の袂に一代歓楽街もできあがり岡場所もあり大変な賑わいだったそうです。
飢饉や疫病退散の水神祭を大川の袂で行い当時禁制だった花火を水茶屋の人々が幕府に願い出て打ち上げ、これが戦後の戦争で犠牲になった人々鎮魂の花火、隅田川花火になっています。

公園面積は80,497.38平方メートル。開園年月日は昭和6年3月24日。桜の本数:332本(ソメイヨシノ、シダレザクラ、サトザクラ)(そのうち墨堤には125本)観光船の発着所、アサヒビール本社の黄金のモニュメント、スカイツリーなどが前、横、後ろにあり家族連れや観光客で賑わっています。

                                                                                                       


 


Nov.1,2020 柚原君子


すみだリバーウォーク


所在地:東京都台東区花川戸1丁目1番地先~東京都墨田区向島一丁目1番地先

観光地である浅草(浅草寺や雷門、仲見世、電通院など)と東京スカイツリーを最短距離で結ぶために2020年6月作られたもの。すみだリバーウォークと名付けられて見所になるのは、隅田公園脇より浅草に向かう東武鉄道の下に作られた歩道で大きな隅田川を歩いて渡る気分は最高です。アサヒビールのオブジェ、スカイツリー、東武電車、吾妻橋などが望めます。隅田川を上り下りする観光船なども多く見ることが出来ます。北十間川に繋がっているので水門を間近に見ることも出来ます。

自転車は押して通ることは可能。喫煙、釣り、スケートボード類の使用、ドローンの使用やペットの放し飼いなどは不可。ガードマン1名常駐です。
浅草側で東武鉄道高架下を抜けると右手にスカイツリーの全容が見えます。月の出もこの位置で、満月の日にはカメラマンと三脚ラッシュです。

夜はライトアップされます。通行可能時間は7:00~22:00。

                                                                   

 


Apr.2013 柚原君子

水戸街道の墨田区東向島1丁目の交差点から西側をのぞくと、細い道にひしめき合っているレトロな商店街があります。

鳩の街商店街です。

近辺には台東区の「吉原」、墨田区の「玉の井」が赤線地帯として有名ですが、ここ鳩の街商店街も始まりは赤線地帯です。

玉の井の赤線地帯から、東京大空襲で焼け出された業者が何件かで、この地で営業を行ったのが「鳩の街」の始まりだそうです。

赤線とはもう今の若い人達になじみはないかもしれませんが、地域限定で売買春が政府から公認されていた頃、その場所を警察が地図上で赤い線で囲ったことに始まります。

政府は風俗営業法に基づいて特殊喫茶店の名目で営業を公認していました。

ちなみに青線というのもあったそうで、特殊喫茶店の届出はしないものの飲食店として登録をさせて売春をさせる地帯のことで、青線よりは赤線地帯のほうが価格が高かったそうです。

この街の店舗は、警察の指導でカフェ風に作られたそうです。

隣接区の台東区にはおいらんで有名な吉原がありますが、今、この鳩の街商店街を歩くと一つ一つの店が小さくあって、当時のカフェ風がなんとなく偲ばれます。

1952年(昭和27年)当時は、娼家が108軒、接客する女性が298人いたそうです。

女優・歌手の木の実ナナはこの地の出身。

現在、商店街の道を老夫婦がゆったりと歩いていたり、湯屋の開くのを待つ老婦人たちが、聞くともなしに聞くと先に逝った人の話をしていたり……。

シャッターを閉じている店や、日よけがぼろぼろに垂れ下がった店もところどころ有り、流れた時間がどこにも行かずにその辺に漂っているような空間でした。

1958年(昭和33年)4月1日に売春防止法が完全施行され、すべての業者が廃業しました。

現在カフェ風の営業をしていた娼婦を抱える店の面影はあまり見出せません。

鳩の街というかっての赤線地帯は一見単なる寂れ行く商店街にしか見えなくなりつつあります。

                                               


Oct.2011 柚原君子

墨田区向島、京島、押上、業平、スカイツリーの見える景色を自転車で走る

Mukojima,Kyojima,Oshiage,Narihira,Skytree, Sumidaku,Tokyo 浅草(浅い岸辺に草があったから)、大川(隅田川)にかかる吾嬬橋(都から見た東の方だから)、寺島、向島、京島、柳島、大島、亀沢、亀戸、石原、押上(汐があがる)、鐘淵、曳船、亀沢……

浅瀬の海に接した地形で島が浮かび亀が遊んでいた情景が浮かび上がってくる本所向島界隈をスカイツリーを遠景に入れながら、自転車で走って撮影をしました。

桜の名所100選にもなっている墨田公園の奥に牛島神社があります。

この牛嶋神社のある場所は、徳川家康が荒川の流れを西に移す前には、荒川と隅田川の間にある中之島ような場所で、牛のような形をしていたので「牛嶋」と呼ばれていたそうです。

その牛嶋には、天皇家の牧場、いわゆる官牧(かんまき)、国営の牧場があって牛を放牧し、牛乳を献じていたそうで、本所の太平町、緑町などでも乳牛が飼われて明治の頃の庶民に牛乳を売っていたそうです。

牛島神社の社殿は総檜権現作りの風格のあるもので、本殿前の鳥居は木製の三輪鳥居。

三輪鳥居というのは中央の鳥居の左右に小さい鳥居の付いたもので、全国でも非常に珍しい形です。奈良県桜井市にある大神神社(おおみわじんじゃ)にある鳥居が標準となっているそうでみわとりい(三輪鳥居)というそうです。

ちょっとおもしろい形です。

牛をなでた後、自転車で向島、京島、八代、押上など古い家を探しながら写真撮影をしました。

東日本大震災のあとの東京都は、東京で火災発生率ワーストワンになっているこの地区の再開発に本腰を入れるようで、人がやっと一人通れるような路地が曲がりくねって続いているこの辺りの、特に古い木造家屋は10年もすると姿を消しているかもしれません。

<落花生問屋>と書かれた朽ち果てそうな看板の上にスカイツリー、コンクリート壁に直書きされた<古銭切手商>の薄れた文字、確かに牛乳屋さんが多い街<保証牛乳>の大きな看板の上にそびえるスカイツリー、3の数字が与えられていない4桁になる前の<3桁局番のままの看板>その奥にそびえるスカイツリー、<6軒長屋>を見下ろすスカイツリー、あちらこちらにスカイツリーを写し入れながら移動しました。

ラストはやはり業平橋界隈。

東京は昔は武蔵国(むさしのくに)と呼ばれた中にあり自立式電波塔として世界一になるスカイツリーの高さは634(ムサシ)。東京のスカイツリーだから634……か。でも実際に建っている場所の押上・業平橋界隈は東京が武蔵国と呼ばれていた頃は両国橋をはさんで下総国(しもうさのくに)と呼ばれていた場所なんだよね。

まあ、いいっか。今は東京だから。

建ちあがってしまったスカイツリーは被写体的にはそれほどおもしろくなくなってしまいましたが、見物人の所作はおもしろいです。

プライバシーがあるのでなかなか撮れませんが、ちょうど撮影の日にクレーンが動いていて鉄の塊をあげるところに遭遇しました。

見物人たちはホホォーと見ていましたが、完成したスカイツリーですからスカイツリーの上の方までは行かず、隣のビルに資材を運ぶところ。

鉄の塊をある程度引き上げたところで、クレーンが横に向きを変えました。

観客たちは「あ〜あぁ、上に行け!もっと上だ!」と叫んでいました。(笑)。

スカイツリーにちょこっとだけ残してあるクレーンは隣のビル用だったのですね。

建ってしまったスカイツリー。<何かに重ねて撮る>ということを楽しんできました。

牛島神社

Ushijimajinja

                                                       

京島周辺・キラキラ商店街(再開発地域)

Kyojima

                                             

八広、コンニャク稲荷周辺

Konnyakuinari

                   

髙木神社その周辺

Takagijinja

             

押上界隈

Oshiage

                             

業平橋界隈

Narihirabashi

                                                                                       


Mar. 2010 撮影:田中康平

隅田公園、及び東京スカイツリー 場所:東京都墨田区

時:2010年4月3日

338mと東京タワーを越えた建設中のスカイツリーをバックに桜満開の隅田公園です

                                                


Mar.2008 撮影:瀧山幸伸

墨田川桜堤

Sumidagawa sakura tsutsumi

隅田公園(台東区、墨田区)

8代将軍徳川吉宗が開放した。吾妻橋から桜橋の約1kmに、ソメイヨシノ、シダレザクラ、サトザクラ、エドザクラなど300本あまりが咲く。屋形船や水上バスが風情を盛り上げる。

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Nov.2004 撮影:瀧山幸伸

向島界隈探訪

Mukoujima and vicinity

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May 2003 撮影:瀧山幸伸

長命寺さくらもち、言問団子

Choumyouji cherry cake, Kototoi cake, traditional Japanese foods.

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