東京都板橋区 文殊院
Monjuin,Itabashiku,Tokyo
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Nov.15,2016 柚原君子
幡場山大聖寺文殊院
所在地:東京都板橋区仲宿28−5
中山道・板橋宿のほぼ中央の仲宿にあるお寺です。
板橋宿は今では賑やかな商店街となっています。車がやっと一台通れるくらいの道幅ですが、人も自転車も、車もごった返すように行き来しています。
商店街の人通りがやや少なくなるライフというスーパーマーケットを右折したところに幡場山大聖寺文殊院があります。
右折のこの道は、御成道と言い、将軍が鷹狩りに訪れた際に赤羽台方面へ向かう道だったと云われています。緩やかに曲がった道が江戸時代のイメージです。
文殊院は板橋宿本陣の飯田家の菩提寺。開山は1625(寛永2)年。古くからあった延命地蔵尊の境内を広めて開かれたお寺といわれています。本尊の文珠菩薩坐像(板橋区有形文化財)は寛文年間(1661〜1673)の作です。
文殊院の山門の左側には延命地蔵尊。門をくぐると左側に閻魔堂。こちらの閻魔様はちょっと年配のお顔です。閻魔様に付きものの地獄に落ちてきた人の衣服をはぐ奪衣婆(だつえば)と、その衣服を枝に掛ける懸衣翁(けんえおう)がいらっしゃいます。亡くなるときに生前好きだったお洋服を着させてもらって死人は旅立つのですが、地獄の入口でこの奪衣婆に服を脱がされて、奪衣婆の夫である懸衣翁がその衣服を衣領樹(えりょうじゅ)に掛けて、その枝のしなり具合で罪の重さが分かる……という地獄の話が語られるときに出てくる方々が文殊院の閻魔堂の中にはそろっています。そろっているのは珍しい気がします。結構おっかない顔です。
文殊院は江戸時代は「投げ込み寺」と呼ばれています。板橋宿の飯盛り女(遊女)が病気で亡くなったり、旅人が行き倒れたりすると投げ込まれたお寺で、墓地には遊女を弔ったお墓(板橋区有形文化財)があります。
小さな静かなお寺ですが、その他にも宿場の飯盛旅籠の一つ「大盛川」の墓や、板橋宿で大きな旅籠だった伊勢孫の墓所もあるそうです。江戸時代と思われる墓石などが多くあるそうです。次回ゆっくりと探してみたいと思います。
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