東京都千代田区 神田明神
Kanda Myojin,Chiyodaku,Tokkyo
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撮影:Nov.14.2014 神田明神 「含む 神田の家」
千代田区外神田2−16−2祭神:一の宮 大己貴命(だいこく様) 二の宮 少彦名命(えびす様) 三の宮 平将門命千年以上の歴史をもち、「明神様」の名で知られる江戸総鎮守。
平将門が祀られ、江戸三大祭の神田祭が行われることでも有名である。
外堀通り方面にある石段は男坂とも呼ばれ、坂を登って右手に行くと、神田明神下の長屋に住んでいたという「明神下の親分」こと、銭形平次の碑がある。
案内
参道には甘酒を売るお店が並ぶ。
年末年始は参拝客で賑わう。特に1月4日から一週間は、「商売の神様」に会社単位でサラリーマンが訪れる。
昭和50年に昭和天皇御即位50年の記念として建立。総檜・入母屋造。
御社殿
昭和9年に竣功。権現造。鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿 国登録文化財
1階 神札授与所・参集所、2階 神職斎館、3階 祭礼装束調度品収納室
神田祭神幸祭に出される神社鳳輦・神輿2基が大切に保管されている。
力石
●神田の家
東京都千代田区外神田2−16東京都千代田区外神田 神田明神の隣にある千代田区指定有形文化財
文化財登録名は「遠藤家旧店舗・住宅主屋」。神田鎌倉河岸の江戸時代から続く材木商の店舗兼住宅。屋上庭園とつながっている。
神田の家の家主である遠藤家は、江戸城築城のために鎌倉材木座から招集された材木商。神田の鎌倉河岸に店舗を設け、江戸城の立ち入りも許されていた。
文化財となっている神田の家は昭和2年に建設され、高度経済成長期のビルの建設ラッシュが起こった昭和47年、遠藤家の府中の材木置場に移築された。
平成21年(2009年)千代田区から文化財指定を受け、神田明神の隣にある宮本公園に移築された。
建てられた当初の平屋から、その後増築されて2階建になっている。一見普通の民家であるが、遠藤家が材木商であったことから、建物全体に良木、銘木が使用されており、建物は細部まで職人の技が貫かれ、内部の建具なども見事。建物の外壁は黒いが、これは「江戸黒」と呼ばれる黒漆喰で、白漆喰を塗った上に黒漆喰を重ねるという工法が取られているという。まさに江戸っ子の”材と技と粋“が見られ、感じられるようだ。当日はCAFEも休館で、内部には入れなかった。(意匠の例は「井政」HPより引用)
神田の家の先代の家主である遠藤達藏は、神田明神の氏子責任総代と、将門塚保存会の会長を務め、生涯をかけて平将門を崇敬した人物である。
その為、土間には「将門」と書かれた色紙がかかっており、庭には平将門の娘滝夜叉姫とゆかりの深い蛙の置物が多数置いてある。また、京都の京都 神田明神の建立に尽力し、平成22年(2010年)より一般公開している。京都・神田明神
京都市下京区、国重要文化財指定の「杉本家住宅」のすぐ近くの路地を入った所にある。
この路地は、「膏薬図子」(こうやくのずし)という変わった名前で、この地に空也聖人が平将門を供養するために念仏道場を開いたことに由来する。
「空也供養」が訛って「膏薬図子」となったとされる。「図子」は「小路」よりも狭い路地のこと。
幅約2m、長さおよそ100m、杉本家住宅の西側をめぐる通りである
神田神社
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