東京都港区 烏森神社
Karasumorijinja,Minatoku,Tokyo
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Nov.27,2018 柚原君子
烏森神社
所在地:港区新橋2−15−5
当地が武蔵国桜田村と呼ばれていた頃、一帯は江戸湾の砂浜で松林が多く『枯れ州の森』とか『空州の森』と言われていたそうです。おまけに鳥が多く集まっていた場所でもありましたので、のちに『烏森』となったと言われています。昭和初期まで町名として使われていましたが、その後新橋となり、現在では烏森口や烏森神社としてのみ名前が残っています。
烏森神社は以前の名は烏森稲荷。神社の起こりは社伝によりますと以下の通りです。
『平安時代の天慶三年(940年)に、東国で平将門が乱を起こした時、むかで退治の説話で有名な鎮守将軍藤原秀郷(俵藤太)が、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、白狐がやってきて白矢の矢を与えた。その矢をもって、すみやかに東夷を鎮めることができたので、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現われて、神烏の群がる所が霊地だと告げた。そこで桜田村の森まできたところ、夢想の如く烏が森に群がっていたので、そこに社頭を造営した。 それが烏森稲荷の起こりである。』
振袖火事といわれた江戸の大火からも類焼をまぬがれて烏森稲荷として江戸庶民からも徳川家からも崇敬を集め賑わったようです。烏森稲荷から烏森神社に変わったのは日比谷稲荷が近くにあって混同されるのをまぬがれるためとありました。
新橋駅から5分ほど歩いて飲み屋街の細い道を入って行くと通りかかる人が、飲み屋の看板の向こう側でおじぎをしている姿があるので、神社の所在が分ります。コンクリート造りの小さな神社です。
参道は細い道ですが50メートルくらい続いています。改めて正面よりみると、鳥居がとても変わっています。コンクリートで笠木(かさぎ)とか島木(しまぎ)とか呼ばれる横長の柱がなく、コンクリートの上部はくの字型です。珍しい形です。(由緒ある神社ですので天保年間に発行された江戸名所図会にも載っていますが、見る限りでは当時はごくごく普通の鳥居であったことが解ります。)改めてみるこの鳥居の形。何か意味があるのでしょうか。
鳥居の前に立って本殿を見るとこれまた鳥居と同じデザインです。
小さな形状の神社ですが神輿は千貫神輿。5月にお祭りがあるようです。千貫もの神輿がこの細い参道を渡る!見てみたいお祭りがまた一つ増えました。
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