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東京都港区 慶應義塾大学

Keio University,Minatoku,Tokyo
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港区三田2-15-45 慶應義塾三田演説館 重文 近代/学校 明治 明治8(1875) 木造、建築面積191.2㎡、二階建、桟瓦葺 19670615

港区三田2-15-45 慶應義塾図書館 重文 近代/学校 明治 明治44(1911) 煉瓦造、建築面積684.4㎡、二階建、地下一階、一部三階、書庫六階、スレート及び銅板葺(正面玄関広間、階段室以外の内装を除く) 19690312


Mar.2012 瀧山幸伸 source movie

図書館旧館

                                                         

 

演説館

             


Nov.2011 柚原君子

大学東門周辺・重文慶応義塾旧図書館

■慶應義塾大学 図書館旧館

重要文化財 

上野彰義隊の戦いの時も学業を休まなかったという福澤諭吉塾。築地から芝新銭座へ移ったのは明治元年(慶應4年)です。当時の年号に因み慶應義塾と名付けられました。その後明治4年(1871)春に、三田島原藩邸跡の現在地に移転されました。

創立50周年記念として明治44年4月に完成しました。赤レンガを主体とした重厚壮麗なイギリス風ゴジック建築で、本館と書庫、八角塔から構成されています。現在は主に書庫と会議室に使用されていいます。

正面の階段を昇るとステンドグラスがあります。右手の女神が西洋文明を表し左手の鎧武者が日本文明(武家社会)をあらわしています。この絵は女神が扉を開けることで光が差し込み、江戸時代までの封建制度を突き崩し、西洋文明がもたらされ、それを武者が馬から下りて迎え入れている様子を表しています。これは日本に初めて近代教育をもたらした慶応義塾を表しています。ステンドグラスの一番下の文字はラテン語で「ペンは剣よりも強し」と書かれているそうです。女神が手に持っているのは「ペンマーク」で慶応義塾の校章です。構内のマンホールにも記されています。 ■図書館旧館の正面には福澤諭吉の胸像があります。案内してくださった学生さんによると、「胸像によじ登ったり、台座に足をかけたりすると留年する」のだそうです。福沢諭吉は身長173.5センチもあり、当時の日本人としては非常に大柄だったそうです。

図書館旧館左斜め前の緑地は「福沢公園」と命名された福澤諭吉終焉の地。この地に死去するまでの30年間を暮らしたそうです。 ■図書館旧館より正面を見上げると時計が見えます。ラテン語で「時は過ぎ行く」すなわち「光陰矢のごとし」という文字が書かれています。文字盤12時のところは砂時計になっていて、砂時計の砂が流れ落ちるように一瞬に過ぎ去ってしまう若い日々を、悔いなく生きよ!と、この時計は語りかけているそうです。見上げると砂時計が良く見えませんが、東門の上にある東館ホール屋上に行くと良く見えます。学内を見渡すこともできお茶も飲めます。正面に東京タワー。気持ちの良い空間です。

                                        

           

                                                                                            

大学南門(正門)〜重文演説館

■慶應義塾大学 三田演説館

重要文化財 

1875年に開館。福澤諭吉は日本を近代国家にするために、「人々に正しい知識を与え合理的な考えをするように導かなくてはならないと」考え、積極的に演説を行っていました。そこで、演説を専門にできる建物の必要性が生じたので、三田演説館の建設に至りました。構えは木造瓦葺、洋風、なまこ壁、床面積58坪余(192.16平方メートル)。一部2階建で総坪数は付属建物合わせて87.9坪余(290.34平方メートル)あります。

この三田演説館は日本における演説の発祥の地となります。正面に掲げられている福澤諭吉の立像は彼が演説している姿を描いたもので、ちなみに「スピーチ」を「演説」、「ディペート」を「討論」と日本語に初めて訳したのは福澤諭吉です。

演説館内部はアメリカ中西部の教会を真似て設計されたもので、この壇上では様々な著名人の演説が行われています。五.一五事件で暗殺され、慶応義塾出身者として初めて総理大臣になった犬養毅氏や、黄熱病の研究や千円札でおなじみの野口英世氏などです。最近では来日中のブータンのワンチュク国王が2011.11.17日に演説をされて、名誉博士号(経済学)を授与されています。

建物は平成7年12月より1年4か月かけて解体修復が施され、平成9年4月に完成しています。

                            

                              

■慶應義塾大学塾監局図書館旧館前に建つ大正15年の建物。この時代の特徴であるスクラッチタイル(建築物の外壁を覆う材料で、縦方向のひっかき傷を付けた茶褐色のタイル。鉄筋コンクリートの無表情な外壁を補う為に、大正末期から昭和初期に普及した)が使用された、端正な建物。全国の塾を統括する事務局。法人本部となっています。

慶應義塾大学は明治4年(1868)に芝新銭座から三田に引越しましたが、その時「慶應義塾社中の約束」という申合せを作り、学校の職務を分担する部局「塾監局」「会計局」「童子局」「教授方」を設けたそうです。童子局というのは塾生(生徒)のうち年少者の面倒を専らみるところで、塾監局は年長の生徒をみました。子供が兄貴の馬鹿な真似をしないように別々にしてあったのです。

この建物の中に塾長や理事が常駐しています。。

塾長に呼び出されない限り、この棟に学生が入ることはないです、と案内をしてくださった学生さんが言っていました。

                 

赤羽橋駅〜大学北門周辺

             

大学構内風景(三田祭)

                                                        

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