東京都北区 旧松澤家
Old Matsuzawake,Kitaku,Tokyo
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Aug.2022 柚原君子
旧松澤家住宅及び倉家(北区ふるさと農家体験館)
住所:北区赤羽西5-2-34(赤羽自然観察公園内)
入場料金:無料
北区指定有形文化財(建造物)である旧松澤家住宅は1844(弘化元)年の創建。
平成15年度から16年度にかけて、赤羽自然観察公園へ復原移築されて、平成17年4月、区の昔の農村風景を再現した体験学習施設「北区ふるさと農家体験館」としてオープン活用されています。
コロナ禍の昨今はあまり集合できないので、催しものは少ないですが、農業体験や季節のイベントに子どもたちの学習場所になっています。
移築前の家屋はトタン葺きの屋根でしたが、移築のために解体してみると茅葺き屋根が残っていたのでそれを元に、幕末から明治初期の間取りで復原されています。家の様式は食い違い四間取り形式であったと推定されています。
主家の裏には倉家と呼ばれる納屋があり、創建年代は主家より古いとされています。中には舟が展示してあります。荒川沿いで洪水も多かった事から舟は生活必要品であったようです。
旧松澤家住宅があった地区は北区浮間で、江戸時代には武蔵国足立郡平柳領浮間村と言われていたところです。
江戸幕府の直轄地ですが、荒川沿いにあるために洪水の被害に遭うことの多い村でした。そのために周囲より高く土を盛った水塚と呼ぶ地盤の上に家は建てられていて、移築以前の松澤家住宅も水塚の上に建っていたそうです。それでも床上浸水になる事もたびたびあり、その時は屋根裏を避難場所にしていたといいます。
洪水地なので田はあまりなく、百姓の多くは、畑で五穀や芥子を栽培したり、縄や筵、木綿糸を作るなどして生計を立てていたようですが、荒川に沿うことで堤外地に発達した寄洲や中洲では萱の収穫があり、当時の江戸は火事が多く、新しい家を造る屋根用の萱が必要で、荒川の水運を利用して江戸に収穫した萱を運んで利を得ていたようです。
旧松澤家住宅が移築されている赤羽自然観察公園は、湧き水もあり白鷺が訪れる池、稲作の出来る田、無花果の木、グミの木、桑の実のなる木など自然が豊かに息づいています。
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