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東京都目黒区 筑波大学付属駒場中高等学校

Tsukuba Univercity Komaba Highschool

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June 14, 2017 松田浩志

東京都目黒区 旧駒場農学校実習田

Kyukomabanogakko jisyuden, Meguro-ku, Tokyo

 

ケルネル田圃

「ケルネル田圃は, 旧駒場農学校の実習田です。駒場農学校は, 明治政府が近代農学に基礎をおく欧米農法をとりいれるために, 農業指導者を養成する学校として明治11年に設置されました。札幌農学校がアメリカ系統の農業技術を導入したのに対して, 駒場農学校にはドイツ系統の農学 がとりいれられました。ドイツ人のオスカー・ケルネルは, 駒場農学校 の教師として招かれ, 日本農業の特質を配慮しながら農芸化学を応用した実験を中心に土壌,肥料 などの研究と教育をおこない, 多くの成果を収め ました。ドイツ人教師ケルネルの名をつけたケルネル田 圃は, 新しい日本農業の指導者を育てた駒場農学 校の実習地の跡として貴重な史跡です。

なお, 駒場農学校は, 後に東京農林学校となり, 東京帝国大学農科大学等を経て筑波大学に継承さ れました。現在, ケルネル田圃では筑波大学附属駒場中学 校, 高等学校により教育水田として生徒が実習しています。」

案内板より転載

「駒場農学校が、黎明れいめい期の日本近代農学の発展に果たした役割は、計り知れないものがある。なかでも、群馬の農民船津伝次平と、水田にその名を残したケルネルら2人の活躍はめざましかった。船津伝次平は、農学校の教官に抜てきされると、自ら先頭に立って駒場の原野を開墾した。

その後、本邦農場を使って、日本の農業に欧米農法の長所を取り入れることに努めたという。

一方、ドイツ人オスカー・ケルネルは、明治14年、政府の招きに応じ、農芸化学の教師として着任。土壤・肥料・酪農の講義を手始めに、米作・養蚕・漁業の方面へも研究範囲を広げ、大きな成果を収めた。このとき、ケルネル田んぼは、我国初の水田試験地として、土壤や肥料の研究に大いに役立ち、その名を後世に残すこととなったのである。」

目黒区ホームページより転載

         

 

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