東京都江東区 旧弾正橋(八幡橋)
Kyu Danjobashi(Hachimanbashi),Kotoku,Tokyo
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江東区富岡2-1 旧弾正橋(八幡橋) 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治11(1878) 鉄製、単径間アーチ橋 19770627
Oct.2012 大野木康夫
2011.9.14撮影
明治11(1878)年の建造
鉄製、単径間アーチ橋
Apr.2011 撮影 柚原君子
江東区富岡2丁目(深川富岡八幡宮 東側)
与力や同心を部下に持つ町奉行は、午前は江戸城に勤務して老中などと打ち合わせを行い、午後は奉行所で裁判や決済を行う、というのが仕事で、けっこう激務だったそうです。その町奉行<島田弾正>の屋敷(中央区八丁堀)が近くにあったので、この橋を弾正橋と呼ぶようになったそうです。
町奉行や与力が渡ったであろう江戸時代の弾正橋は勿論木橋でしたが、明治の初期に東京府がこの木橋を鉄橋に架け替えることを計画します。官営の 「工部省 赤羽製作所」に依頼。明治11年、長さ 15.2m、幅 3.0m(有効幅 2.0m) の単径間アーチ形状で、アメリカで開発されたウィップル形トラス橋と呼ばれる形式の、国産初の「鉄橋」となります。
その後鍛治橋通り拡幅とともに、大正2年にになって現在残っている中央区八丁堀の弾正橋は架け替えられましたが、架けられた所はやや上流になったため、暫くは明治11年の鉄橋もそのまま架けられていたそうで、当時より<元(旧)弾正橋>と呼ばれていたそうです。
この<元(旧)弾正橋>は大正12年、震災後の帝都復興計画で廃橋となりますが、歴史的価値が高い(鋳鉄橋から錬鉄橋への過渡期の鉄橋)として、昭和4年に江東区深川の八幡宮東側の掘割(八幡堀)に移設されます。昭和52年にはその価値が評価されて国指定重要文化財になり、平成元年にはその優れた製作技術に対して、米国土木会より国内初の「土木学会栄誉賞」が贈られています。
ピンの接合部に菊の紋形の花弁装飾が施された赤い小さなかわいい橋で、徒歩のみで通行可。周囲には昭和の古さを残す家もみられ、近所の小学校の子どもたちが走ったり傘をさしたりして通る姿は一服の絵になります。橋下の掘割は埋め立てられて遊歩道となり、散歩する人や遊ぶ猫たちも多くまるで時間が止まっているかのような一角になっています。
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