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東京都北区 旧醸造研究所第一工場

Kyu Jozokenkyusho Daiichi factory,Kitaku,Tokyo

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北区滝野川二丁目6 旧醸造研究所第一工場 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治37(1904) "煉瓦造、建築面積923.30㎡、仕込部、階段部、製麹部、機械部よりなる仕込部 二階建、鉄板葺階段部 三階建、地下一階、一部平屋建鉄板葺製麹部 平屋建機械部 平屋建、鉄板葺" 20141210


Nov.3,2025 瀧山幸伸

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外部

                                                          

内部

旧ボイラー室

                   

原料処理室・トイレ

                 

旧麹室

                                      

麹室

        

二階へ

               

二階前室・発酵室・上槽室

                         

地下へ

               

地下前室・百年貯蔵酒

                 

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Apr.9,2025 柚原君子

                                    


Nov.12,2016 瀧山幸伸 source movie

                                                                                              


March 4,2015 松田浩志

東京都北区滝野川 2−6−30

『元治元年(1864)、幕府が大砲を製造のために反射炉と錐台(砲身の穴あけ機)を設置しました。その動力用水車の水を得るために千川用水を巣鴨から分水。反射炉は完成しましたが、幕府倒壊により使用されなかったようです。(反射炉工事は中断という説あり)

この地と水に着目したのが鹿島万平で、ここに民間で最初の紡績工場(鹿島紡績所)を設置。明治5年(1872)から操業を開始し、東京紡績に吸収合併される明治21年まで操業しました。金剛寺(紅葉寺)に「鹿島万平翁之碑」(明治38年建立)があります。

鹿島紡績では、千川用水で水車(直径約6.2m、イギリス製)を回すだけで水は全然汚れていませんでした。渋沢栄一はこの水は紙抄きに使用可能と判断し、この水を利用して王子に抄紙会社を設立することを決断しました。 大蔵省紙幣寮印刷局(後の印刷局抄紙部)も千川用水に着目し、抄紙会社が契約していた水の半量を召し上げ、明治9年に王子に製紙場を設置。更に、明治13年(1880)に鹿島紡績所の隣に配合分科を設置し、日本最初の稲ワラパルプの製造を開始しましたが、明治22年に本部内(王子工場)に移転しました。

更に、明治37年(1904)に大蔵省が醸造試験所を設置。平成7(1995)年に主なる研究機能を東広島市に移転し、醸造研究所と名称を変更。さらに平成13年に独立行政法人酒類総合研究所として新たにスタートし、平成16年に創立100周年を迎えました(紙)*文章は、2008年4月24日の配付資料より 』

飛鳥山3つの博物館のホームページより転載『当研究所の前身醸造試験所は、明治37年5月9日、古くから伝来の技術のみに頼っていた当時の酒造方法を改良発展させるため、酒類の醸造技術を科学的に研究する国立研究機関として大蔵省に設置され、東京都北区滝野川に誕生しました。昭和34年4月に国税庁の直属研究機関となり現在に至っておりますが、

創設以来今日まで一貫して酒類醸造に関する科学的研究を行うとともに、全国の酒造技術者を養成し、我が国の酒類醸造技術の向上・発展に努めてきました。特に、酵母や麹菌などの微生物の分野においては、我が国で最も早くから研究を始めており、現在世界をリードしている我が国のバイオテクノロジーの発展にも大きく貢献してきました。

昭和63年「国の行政機関等の移転について」の閣議決定を受けて、平成7年7月から醸造研究所と改名するとともに、東広島市での研究活動を開始しました。さらに、中央省庁等改革の一環として、平成13年4月からは、独立行政法人酒類総合研究所として、酒税の適正かつ公正な賦課の実現に資するとともに、酒類業の健全な発達を図り、あわせて酒類に対する国民の認識を高めることを目的に、新たな研究活動を開始し、現在に至っています。』

独立行政法人 酒類総合研究所ホームページより転載水流豊な川が流れ、水車を利用し紡績工場があり、さらには多量の水を消費する製紙工場、さらには醸造研究所。現在では石神井川飛鳥山隧道となって半地下に潜って滔々と流れていました。

               

 建物外観

                             

建物内部・展示品

                                


Dec.2014 柚原君子

(所在地:東京都北区滝野川2−6−3) 竣工は1902(明治35)年。翌々年の明治37年に大蔵省醸造試験所として設置されました。

設計は妻木頼黄(つまき よりなか)(1859〜1916)氏。日本酒仕込みを四季を通じて行えるようにするために、ドイツ留学時のドイツの近代化されたビール工場を参考に設計。

妻木頼黄氏は横浜赤れんが倉庫・半田赤レンガ建物、横浜正金銀行本店などを設計した建築家。

丸窓やそのほかの窓のアーチ、煉瓦が積み重なっている装飾がバランスよく配置されている、赤煉瓦造3階建ての建造物です。

平成7年に国税庁から独立して行政法人となり、現在は「独立行政法人 酒類総合研究所」という呼称になっています。

主力は最新設備を整えた広島に移り、現在「東京出張所」として酒造メーカーや酒屋などの研修に使われているそうです。

暮れに訪問したので門も閉まり、問い合わせの電話もつながらず外観のみの撮影となりました。

桜の時期などに公開された様子があるようですが、基本的に一般公開はされていないようです。

今回、国の重要文化財に指定されて公開がどうなるのか楽しみです。

正門左に大きな公園がありますので、離れた距離から全景を見ることができます。きれいな建物でした。

酵母最初の発見者矢部博士の銅像が建っているのがフェンス越しに見えました。

                            

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