東京都豊島区 長崎の富士塚
Fujitsuka,Nagasaki,Toshomaku,Tokyo
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June 2016 柚原君子
豊島長崎の富士塚(国重要無形民俗文化財)
所在地:東京都豊島区高松2丁目9番3号
江戸時代からあった富士塚ですが、完全な形で残っていることは珍しいそうで、ここの豊島長崎の富士塚は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
フェンスで囲まれていて実際に歩くことはできません。
住宅街の入り組んだ中にあります。フェンス越しでしたが、庚申塔やカッパの石像などみることができました。
よその富士塚には登ったことがあるのですが、息が上がることはありませんが意外と細い急な山道で、富士登山の100分の1位のテクニックは必要です。
文化庁のポータルサイト『文化遺産オンライン』では豊島長崎の富士塚について下記のように説明されています。
『富士山はわが国の霊山のうち、古来、信仰の対象とされた最も著名な山の一つである。
富士塚は、富士山を模して築造された塚で、江戸高田の行者藤四郎が、老若男女だれでも心安く富士に登山できるようにと、安永9年(1780)高田水稲荷の境内にこれを築いたのが始まりである。
庶民の富士山信仰は江戸中期には盛んになり、この頃から、江戸を中心に富士講が所々に結成され、多くの富士塚が築造され、現都区内だけでも50数か所の富士塚を数えるに至った。
長崎の富士塚は、富士講の一派月三講(椎名町元講)によって、文久2年(1862)に築造された。
高さ約8㍍、直径約21㍍で、塚全体が富士の熔岩でおおわれている。
頂上の石祠をはじめ、太郎坊大権現碑・亀岩八大龍王神碑・月三講の講碑・同行碑・登山道の合目石・手水鉢など築造当時の碑等も多く残存し、他の講碑や明治期以後の講碑も見られる。』
また、富士塚内の掲示板には下記のように記されています。
『山頂にあるのは大日如来座像。西武池袋線東長崎駅前の長崎神社の兼務社です。
富士塚は、富士山を神の宿る地として信仰する人々の集まりである富士講によって、江戸時代後 期以降、主として富士登山が困難な人々のため に、江戸とその周辺地域に築かれたものです。
この富士講は、角行を開祖とし、江戸時代中期に は身禄によって広められ、最盛期には、八百八講 と称されるほどの講が結成されて代表的な庶民 信仰の一つとなりました。
豊島長崎の富士塚 は、文久2年(1862)に富士講の一つである豊島 郡長崎村の月三講(講祖は三平忠兵衛)の椎名町 元講の人々によって築造されました。
高さ約 8m、直径20m、表面は富士山の黒ボク石(溶岩) でおおわれています。
塚内には、頂上に大日如来坐像、小御岳石尊大権 現碑、烏帽子岩奉献碑があるほか、合目石、講 碑、石仏、天狗像、御胎内などが配置され、約 50基の充実した石造物群で構成されています。
浅間神社では、かつてお焚き上げが行われてお り、奉献された数多くの講碑からは長崎村の人々の富士信仰の強さと、近隣地域の人々との交流をうかがい知ることができます。
この富士塚は、東京都内にある江戸時代に築造された富士塚の中でもよく原型をとどめていることから、昭和54年5月21日に国の重要有形民俗文化財に指定されました。
その美観と偉容を 永く後世に伝えるため、昭和62年には昭和大修復が行われ、以後浅間神社豊島長崎富士塚保存会によって山掃除や保存修復事業が定期的に実施されています。』
(豊島区教育委員会)
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