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東京都中野区 氷川神社

Hikawajinja,Nakanoku,Tokyo

 
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Oct.17,2025 柚原君子

東京都神社名鑑には
「江古田氷川神社の由緒:旧江古田東西(鷺宮境)十六町、南北八町全域の鎮守である。口碑によれば寛正元年(一四六〇)の創祀とされる。文明九年(一四七七)道灌と豊島氏が戦った古戦地である。牛頭天王さまと称したが、元禄九年(一六九六)氷川神社とする。弘化三年(一八四六)社殿を改築。現社殿および境内整備一新は数年がかり、昭和七年十月竣工した。大祭には毎年かかさず古式豊かにお練り行列(約二千名)をし、獅子舞の田楽舞の正しい舞法(約七〇〇年前)を伝え、郷土芸能とし、東京全土にならしている。」と記されている。
氷川神社には「気象神社です」と付け加えられるところが多々あるが、ここもその一つ。
気象神社とは、昭和19年(1944)4月、大日本帝国陸軍の陸軍気象部(杉並区)の構内に造営された社。御祭神は、晴・曇・雨・雪・雷・風・霜・霧の八つの気象条件を司るとされる八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)。軍にとって気象条件は戦略の上での重要な要素で科学的根拠に基づいた予報がなされていた。また予報適中を祈願するなど気象観測員の心のよりどころにもされていた。戦後は神道指令(※)で撤去されるはずだったが、調査漏れにより残存した。
そのような関係から雨女から逃げたい人や天災除けの祈り、また気象予報士の合格祈願などの参拝客も多い。
※「神道指令」……第二次世界大戦後に連合国の占領下にあった日本において、GHQ(連合国最高司令官総司令部)が発出した命令の一つで1945年12月15日に発表された。 主な目的は、神道を国家神道から分離し、宗教としての神道を確立することで、日本の民主化を促進し、軍国主義の再発を防ぐことにあった。
本殿の右側にあるのは中野区指定有形文化財の神楽殿。
江戸時代(弘化4年・1847年)に本殿として建立されたもので、1982(昭和57)年に茅葺きから現在の銅板に葺き替えらた以外は当時のままで、その姿を保っているのはめずらしいとされる。
桁間は、三間(五・五㍍)。梁間がニ間(三・六㍍)の寄棟造り。正面に四枚立ての引違い戸が入っているが、かつては、摺り上げ戸であったと思われる。屋根の勾配や全体のバランスが良く、区内に残されている数少ない江戸時代の建造物として代表的なものになる。
内部は、床面が板張りで、天上は格天井になっている。この格天井には色彩豊かな花鳥画が描かれている。この地の名主、山崎家の離れ(茶室書院として現存)に絵師が滞在して花鳥画を仕上げた、と言い伝えられている。(中野区教育委員会掲示要約)
しかし、せっかく文化財の指定を受けているのに、神楽殿の周囲にはいろいろなものが置かれていて雑に扱われているようで残念な気持ちが過った。
内部を覗き見ることはできなかった。
また10月の氷川神社の祭礼に奉納される「江古田獅子舞」は東京都無形文化財に指定されている。
一人立ち三匹獅子舞で、三人の獅子役が笛・太鼓・ささらに合わせて踊る民俗芸能で、角や目が見えなくなるほどの長い羽をたくさん付けた6キログラムを超える大きな獅子頭が特徴で、地域的特色を示すものとして重要である。平成29年2月に東京都無形民俗文化財に指定されている。
狛犬は阿吽の形でどうやら花を押さえているいるように見える。花は珍しい気がする。
学校帰りの通学路になっているのかもしれないが、階段を登って鳥居をくぐり本殿に頭をさげていく高校生が多く印象的だった。


                                      

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