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東京都中野区 歴史民俗資料

History Museum,Nakanoku,Tokyo

 
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Oct.17,2025 柚原君子

山崎記念・中野区立歴史民俗資料館
所在地;東京都中野区江古田四丁目3番4号

中野区立歴史民俗資料館は、郷土の文化遺産を保存し展示活用していくことを目的に、名誉都民である故・山崎喜作氏から1984(昭和59)年に寄贈された2600平方メートルの土地に建設され、1989(平成元)年「山崎記念中野区立歴史民俗資料館」として開設された。愛称は「れきみん」。入館は無料。
入館無料にしては展示内容が豊富で中野区のことにとどまらず、今月の展示「絵馬の歴史」など全国的な情報も多い。窓の切り取りも大きく、隣接する山崎家の古民家の庭の緑が茂り、休憩ソファもあり和める。
隣接する古民家は毎年春と秋に公開される。知らずに行ったがちょうど公開月で入ることができた。名誉都民となっている故・山崎喜作氏はこの土地を中野区に寄贈した人物なので、この古民家と庭は元々あったもの。そこに中野区立歴史民俗資料館が建てられたので、よくある移築とは違い、古民家の周囲の森のように繁る樹々も色が濃く時代を十分に想像できる。
土地を寄贈した山崎家は、代々喜兵衛を名乗っており、二代喜兵衛の頃、農業のかたわら醤油製造業をはじめている。文化・文政期(1804~29)には中野村や江戸千駄木に支店を出すなどの発展をした。
山崎家が名主になったのは三代喜兵衛の時で、以降、代々名主を世襲した。
四代・五代喜兵衛の時、文化・文政・天保期(1804~47)に隆盛を誇り、徳川御三卿の一つである田安家侯を迎えるなど、上流階級との接触もあった。
茶室・書院は1841(天保12)年に建てられたもの。茶室・書院は公開月であっても上がってみることはできず、庭からの拝見になる。
西側に6畳の茶室、東側に6畳と8畳の座敷を持つ書院の2つの部分で成り立っている。
茶室には炉がなく、この地に訪れた、幕府役人などの迎賓・宿泊施設として、最上級の客間も兼ねていたものと推察されている。
6畳と8畳の座敷の間は板襖で仕切られており、彩色豊かな唐子の絵が描かれている(というが外からは識別できない)。絵は、1847(弘化4)年に江古田氷川神社の天井格子絵を描いた絵師雪洞がここを宿泊所としており、その時に描いたものといわれている。
また、この茶室には大田蜀山人など江戸の文人墨客の多くが宿泊したと伝えられ、この頃の江戸周辺農村の文化レベルの高さを示す遺構としても、きわめて貴重なものであるとされている。
六代喜兵衛の時に明治維新を迎え醤油製造業を廃業した。しかし戸長・東京府議会議員・野方村村長と、地域行政の責任者としての立場は変わらなかった。
広くはない庭だが、醤油屋のしいの木(中野区指定記念物)と呼ばれる樹齢500年の椎の木が茂り。飛び石で茶室と座敷に導かれるているが、飛石の分岐点となる大きな平石は踏み分け石と呼ばれて凝った作りが感じられる。
資料館の野外展示では、資料室の正面に石臼、東側には沢庵漬に使われた大きな樽の「とうご」や、江古田・沼袋地域であった合戦に由来する「金塚」など、地域の歴史を物語る文化財が数点ある。


当館は、郷土の文化遺産を保存し展示活用していくことを目的に、名誉都民である故・山崎喜作氏から昭和59年(1984)に寄贈された2600平方メートルの土地に建設され、平成元年(1989)「山崎記念中野区立歴史民俗資料館」として開設しました。「れきみん」の愛称で親しまれています。

         

古民家

                     

中野区歴史資料

               

                                                                       

今月の展示・絵馬

                                                                  


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