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東京都中野区 宝泉寺

Hosenji,Nakanoku,Tokyo

 
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Oct.9,2025 柚原君子



所在地;中野区上高田4-13-1

1562(永禄5)年、駒込吉祥寺三世・興山圭隆大和尚により創建、開山。元は江戸城清水門外に位置していたが、江戸城の拡張に伴い、度々移転し、1909(明治42)年に現在地に移転。相馬中村藩相馬家、庭瀬藩板倉家の両藩主家の菩提寺でもある。本尊は釈迦牟尼仏、他に鎮守道了大薩安置(道了堂)

当寺は永禄5年、江戸清水門外に創建された。
この宝泉寺には、板倉内膳正重昌の墓所があります。高さ約三メートルの五輪塔の中央には剱峯源光大居士、その右に寛永十五戊寅歳(1638)、左に正月朔日と刻まれています。これは重昌が「島原の乱」で戦死した日にあたり、金石史料としても貴重なものです。明治四十一年、牛込横寺町(新宿区)から移転してきました。
重昌は、京都所司代板倉重勝の第三子で、のち三河(愛知県)の深溝城主となりました。若くして徳川家康の近習となり、方広寺の事件では使者として「国家安康」・「君臣豊楽」の鐘銘は家康批判であると豊臣方に強硬にせまり、これが発端となって豊臣氏の滅亡へと進んでいきました。
寛永十四年(1637)島原の乱が起ると、重昌は幕府の命を受けて九州諸大名を督励し、万徒の鎮定につとめました。しかし、強い抵抗にあって果さず、幕府は再び老中松平信綱を派遣して指揮にあたらせることにしたため、責任を痛感した重昌は、翌年元旦「原城」を総攻撃し、自らも戦死をとげました。(中野区教育委員会掲示より)

               

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