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東京都中野区 境妙寺

Kyomyoji,Nakanoku,Tokyo

 
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Oct.9,2025 柚原君子


所在地; 東京都中野区上高田4丁目9-3

黒い門と葵の紋が気になって寄ってみました。黒門には寺号も記されていない(脇道のほうにあった)。お辞儀して入るとすぐに本堂。屋根をみると確かに葵の紋。寺の裏には寺の歴史を物語る石の仏様たち。天台宗東京区公式サイト要約すると、下記のようなお寺だった。

「元日蓮宗に属し、高耀山寂光寺と称して麹町地獄谷の地にあった。
寛永6年(1629年)御城廓造営の時、千駄ケ谷(現・国立競技場所在地)に移った。
その頃境内に松の名木があり、三代徳川家光が鷹狩りをした時に愛鷹がいなくなり落胆していた所、その松にこの鷹が留まり家光の元に戻ったので、御褒賞として松に鷹の名前を与え遊女と呼ばせた。その旧跡を偲ぶ松と石碑が現在明治神宮外苑にあって当時の名残をとどめている。
元禄11年(1698年)に改宗し天台宗となり台宗開基は貞栄。一説には、日蓮宗不受不施派弾圧によるものと言われている。
安永年間(1772~1780年)には紀伊徳川家の下屋敷が千駄ヶ谷にあった関係か、紀伊公邨霊堂の別当に命ぜられていた。そのため今でも、本堂の瓦には葵の御紋が入り、徳川家ゆかりの寺などに見られる黒門が寺門となっています。別当に命ぜられてから戊辰の混乱までの様子は、慶応4年(1868年)に当時の住職である第十一世慶圓が、その恩沢に報いる為に作った位牌の裏書きに見て取れる。
中興十世智順の代(1824~1846年)に堂宇が再整備され、天保5年(1834年)に寺号も改め大雄山普照院境妙寺と称する。のち大正4年(1915年)明治神宮外苑造営の折、上高田の地に移転して今日に至る。
本尊は阿弥陀如来三尊」

                 




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