東京都港区 岡本太郎記念館
(Taro Okamoto Memorial Museum, Minato-ku, Tokyo)
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太郎の存在そのものが芸術 |
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Nov.2012 野崎順次 source movie
東京都港区南青山6−1−19
撮影日: 2012年11月28日ようこそ爆発空間へ!ここ岡本太郎記念館は、1996年、八十四歳で亡くなるまで、岡本太郎のアトリエ兼住居だった。1954年から五十年近くも彼が生活した空間である。
絵を描き、原稿を口述し、彫刻と格闘し、人と会い、万国博の太陽の塔をはじめ巨大なモニュメントや壁画など、あらゆる作品の構想を練り、制作した場所。彼のエネルギーが今も満ち満ちている。
更に言えば、ここは戦前は青山高樹町三番地。岡本一平・かの子・太郎の一家が永く暮らし、一家でヨーロッパへ旅立ったのもこの地からだ。旧居は戦災で焼失した。
戦後、友人の坂倉準三の設計でアトリエを建てた。ル・コルビュジェの愛弟子だった坂倉は太郎の求めに応じ、ブロックを積んだ壁の上に凸レンズ形の屋根をのせてユニークな建物を作った。当時話題をよんだ名建築だ。
岡本太郎の作品は一人の人間の枠を超えて多彩にひろがる。そのすべてがここから閃き出た。膨大なデッサンやエスキース、彫刻、また戦後文化のうねりを伝える資料の山。これから折々に整理して、お目にかけたい。
(岡本太郎記念館ホームページより全文引用)
建物外部
エントランスホール
アトリエ
応接間?
2階へ、企画展「太郎発掘」
岡本太郎には行方不明になっている絵画が少なからずあり、その多くは太郎自身の手で描き変えられていた。が、元の方が芸術性は高い。そこで失われた作品を5点選び、新たに油彩を描き起こした。
その他
空中通路を経て赤い部屋
ガーデン
参考資料
岡本太郎記念館HP
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