東京都青梅市 塩船観音寺
Shiofune Kannonji ,Ome ,Tokyo
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青梅市塩船194 観音寺阿弥陀堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 室町後期 桁行四間、梁間三間、一重、寄棟造、茅葺形銅板葺 19461129
青梅市塩船194 観音寺仁王門 重文 近世以前/寺院 室町後期 室町後期 三間一戸八脚門、切妻造、茅葺 19461129
青梅市塩船194 観音寺本堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 室町後期 桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、茅葺 厨子1基 19461129
本堂
塩船観音寺(しおふねかんのんじ)は大悲山と号し、真言宗醍醐(だいご)派に属します。寺伝などによると、大化年間(645-50)に八百比丘尼がここに千手観音を安置したのが始まりで、天平年間(729-49)には行基が荒廃していた堂宇を再興したと伝えられます。平安時代の貞観年間(859-77)には、比叡山の僧安然が塩船に来て観音堂を再興し、阿彌陀堂・薬師堂、また杉本坊・梅本坊・円林坊など12坊を建て、隆盛を迎えました。さらに室町時代には三田氏が諸堂・諸仏を修理し、再興をはかりました。本堂は室町時代末期の建立といわれ、いわゆる密教堂形式をとっています。外観は簡素で、桁行7間、梁間6間の大きさで、屋根は茅葺、寄棟造です。内部は内陣・外陣に分かれ、内陣に柱間3間幅の来迎壁を設け、木造千手観世音菩薩を安置する1間厨子を置いています。昭和28年に解体修理、同44年に屋根葺き替え修理が行われました。
阿弥陀堂
この阿弥陀堂の平面は、正面1間側面2間の身舎(もや)に庇を廻らした、いわゆる阿弥陀堂形式をとっています。ただし、身舎の前方1間分は吹放、後方1間分は正面を中敷居に格子、側背面を三方板壁の仏壇としています。天井は身舎部分のみで、庇部分は屋根裏をそのまま見せています。また、縁・縁長押や組物を用いず、軒も屋根裏を露わにしており、未完成の建物と考えられています。昭和36年(1961)から解体修理が行われ、屋根が茅葺から茅葺型銅板葺に変更され、建具を含む柱間装置が復旧・整備され、仏壇回りが復原されました。建立年代は室町時代末とされていますが、かつて慶長15年(1610)、もしくは同18年(1613)の棟礼があったとの記録があります。もし、それが正しければ江戸時代初期の建立になる可能性もあります。内部には檜材寄木造の阿彌陀三尊像が安置されています。
仁王門
3間1戸(さんけん・いっこ)の八脚門で、屋根は、切妻造、茅葺です。平面の規模に比べて高さがありますが、重量感のある茅葺屋根によって相殺され、全体としては安定感があります。軒下の木組に力強さが感じられ、装飾的要素が少ない素朴な八脚門です。建立年代は観音堂、阿弥陀堂とともに室町時代末と考えられており、背面などの柱は風触が進んでいます。正面には「大悲山」の額を掲げ、正面両脇に都指定有形文化財(彫刻)の木造金剛力士立像が安置されています。昭和28年に解体修理、同44年に屋根葺き替え修理が行われました。
(東京都文化財情報データベース)
仁王門
阿弥陀堂
大杉
本堂
ツツジが見ごろ。後日、白と薄いピンクのツツジが加わる。
Oct.2010 瀧山幸伸 source movie
A camera
B camera
May.2005 瀧山幸伸 source movie
青梅市塩船194 (国重文)
アクセスの良い文化財探訪
東京都では根津神社とともにつつじで有名な場所だが、喧騒を避け早朝に訪れたい。
境内の杉は樹高40メートル以上あり、都の天然記念物に指定されている。
本堂、阿弥陀堂、仁王門が国の重要文化財に指定されている。
本堂は茅葺で円柱が美しい。阿弥陀堂は慶長15年(1610)の棟札があったと伝えられている茅葺型の銅版葺。
仁王門
阿弥陀堂
本堂
つつじ園
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