東京都大田区 鈴ヶ森
Suzugamori,Otaku,Tokyo
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Mar.7,2023 柚原君子
鈴ヶ森処刑場
所在地:東京都品川区南大井2-5-6 (大経寺内)
東京都の史跡
おどろおどろしく森閑な中にあると想像した鈴ヶ森処刑場は、江戸時代には東海道に面して海にも近く、間口40間(約74m)、奥行8間(約16.2m)の規模の広大な処刑場だったそうです。現在は近代的建物の大経寺と、全面が高速道路でその下にも車が激しく行き交う国道が交差した三角形の道路の突端にあります。
ほんのわずかの場所に石碑や処刑の石などが集められていますが、10万人にも及ぶ罪人が処刑された跡地にしてはあまりにもせまくてそして明るすぎて、撮影しながらも何か戸惑います。
江戸時代には小塚原と鈴ヶ森が二大処刑場で、その他に小伝馬刑場(吉田松陰など処刑)、板橋刑場(近藤勇他40名など処刑)、浅草鳥越刑場(キリシタンの人々が処刑される。後に小塚原に統一される)、大和田刑場(多摩地方の罪人処刑、現在その遺跡はない)等があります。
おおよそ20万人から30万人の罪人が処刑されたようですが、内蔵を取って病理研究にしたり、刀の試し切りをしたり、またさらし首,遺体放置など現場での罪人の扱いはひどかったようです。
見せしめのためもあったのでしょうが、磔にしろ火あぶりにしろ、磔は槍で何本も突き、火あぶりの火は弱く長くジワジワと焼くなど陰湿な殺し方が多かったようです。
鈴ヶ森の地名由来は、大井競馬場を南下したボートレース場の横に磐井神社(いわいじんじゃ)がありますが、この神社には鈴のような音色のする石(鈴石)があり、別名として「鈴の森八幡宮」または「鈴ヶ森八幡(宮)と呼ばれることがあって、それがそのまま地名として残ったようです。
火炎台・磔台に使用した石などの他に歌舞伎『浮世柄比翼稲妻(鈴ヶ森)』で有名な「題目供養塔」がかなり大きく目を引きます。処刑された人々を供養する石碑で高さは3メートル余り。ひげ文字で南無妙法蓮華経と書かれています。裏面には1698(元禄11)年の記。
由井正雪の乱に加わった丸橋忠弥、天一坊、八百屋お七、白井権八などがこの鈴ヶ森処刑地で最期を迎えています。合掌。
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