東京都大田区 洗足池
Senzokuike,Otaku,Tokyo
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September 4, 2015 野崎順次 source movie
東京都大田区南千束2−14−5
洗足池公園
(Senzokuike Park, Ota-ku, Tokyo Pref.)
北千束の清水窪湧水などを主な水源とする都内屈指の広さを有する淡水池のある公園です。江戸時代、歌川広重の名所江戸百景『千束の池袈裟懸松』にも描かれた水辺の景観の面影を今も残しています。春はサクラでにぎわい、秋には紅葉を満喫することができます。生物に目を向ければ、冬は渡り鳥の楽園となり、夏には水辺を飛び交うトンボなどの姿も見られます。散策スポットとしては、池月橋、水生植物園のほか、歴史を伝えるものとして勝海舟夫妻の墓、西郷隆盛留魂碑、徳富蘇峰詩碑、名馬池月像などがあります。また、ボート(運営:洗足風致協会、03-3720-4441)もあります。(大田区ウェブサイトより)
この地域の古い地名は「千束」(せんぞく)であって、その名は平安時代末期の文献にも見られる。由来としては仏教用語の千僧供料(せんそうくりょう)の寺領の免田であって、千束の稲が貢租(税)から免除されていたとする説や、「大池」(洗足池の別称)を水源として灌漑に利用されたので稲千束分の税が免ぜられていたとする説などがある。のちに、身延山久遠寺から常陸へ湯治に向かう途中の日蓮が、池のほとりで休息し足を洗ったという言い伝えが生まれ、千束の一部が「洗足」となった。日蓮上人が袈裟をかけたと言われる「袈裟掛けの松」(3代目)も残っている。(妙福寺も参照。)池の北側の中島には弁才天が祀られている。(ウィキペディア「洗足池」より)
今回は勝海舟のお墓に興味があり、池の東北部を散策した。
西郷隆盛留魂祠
勝夫妻の墓の隣に建つ。これは、西郷が西南役に倒れた後、当時の東京府南葛飾郡の浄光院境内に勝が自費で建てたもの。1913年(大正2年)に荒川放水路開鑿に伴い、当地に移建された。(ウィキペディア「洗足池」より)
徳富蘇峰の詩碑
区文 勝海舟夫妻の墓
かつては、池のほとりに勝海舟晩年の邸宅「千束軒」があったが戦災で焼失。現在は勝夫妻の墓が残り、大田区の文化財に指定されている。幕末、勝は江戸総攻撃中止と江戸城無血開城を西郷隆盛に直談判するため、官軍の薩摩勢が本陣をおいた池上本門寺へ向かう途中、洗足池のほとりで休息した。明治維新後、池の風光明媚を愛した勝が移住し、西郷もここを訪ねて勝と歓談したと言う。(ウィキペディア「洗足池」より)
再び池に戻ると、カメやコイがいた。
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