東京都世田谷区 世田谷八幡宮
Setagayahachimangu,Setagayaku,Tokyo
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Jan.13,2026 柚原君子
所在地;東京都世田谷区宮坂1-23-20
主祭神:八幡大神(応神天皇)。仲哀天皇、神功皇后を祀る。
八幡宮は八幡神様を祀ったもの。
八幡神は元々は大漁旗を意味する海の神様。八幡と名の付く神社では誉田別尊(ほんだわけのみこと)、あるいは応神天皇(おうじんてんのう)の祭神名でまつられている。
もともとは大分県の宇佐氏が崇敬した地方神であったが、ご神託を通じて第15代天皇である応神天皇の化身とされ、土着的な神と天皇のご神霊が結びついた特別な性格を持ちあわせている。
応神天皇は弓術の達人で武の神や出世開運の神として崇められていたが、平安時代には、天皇家を祖とする清和源氏が京都の石清水八幡宮を氏神としたことで、武勇の神として多くの武士からの信仰を集め、一般の信仰の対象としても広まっていった。
大分県の宇佐氏が崇敬した地方神の「宇佐神宮」は総本宮となり、京都府八幡市「石清水八幡宮」、福岡県福岡市の「筥崎宮」、神奈川県鎌倉市の「鶴岡八幡宮」が日本三大八幡宮と称されている。
1091(寛治5)年源義家が後三年の役の帰途にこの世田谷の宮の坂の地で豪雨に合い、天候回復を待つため滞在。今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の加護によるものと思い、豊前国の宇佐八幡宮の分霊をこの地に勧請し祀った。里人に対しこの御祭神を郷土の鎮守神として厚く信仰するよう教えた、と云われている。また、そのとき士卒に奉祝相撲を取らせた事とあり、現在でも東京農業大学相撲部による奉納相撲が神事として行われている。境内には土俵や力石がある。
江戸郊外三大相撲としてほかに渋谷氷川神社、大井鹿嶋神社がある。
1546(天文15)年に世田谷城主七代目の吉良頼康が社殿を再興させて発展させた。世田谷八幡宮はこれを実質的な創建の時としている。
1591(江戸時代)年になって、徳川家康が11石の朱印地(寺社領)を寄進。家康は源氏の子孫でもあるので、八幡宮を手厚くした。
1872(明治5)年には「郷社宇佐神社」と改称しているが戦後にもとの「世田谷八幡宮」の名称に復元。
1964(昭和3)年、社殿を改築(1813年建立の旧本殿が社殿内に納められている。
小田急小田原線「豪徳寺」を下りて、猫にちなむ豪徳寺なので商店街のウィンドーに招き猫もおおく、猫商店街を楽しみながら、線路に沿って豪徳寺方面に歩くこと15分。線路があり、これは東急電鉄世田谷線。「宮の坂」の駅が前方に見えてきたところで踏切を渡る。少し直進すると正面に大きな赤い鳥居。なんだか村の鎮守様に来たような、まったり感がある。
左に厳島神社の小さな赤い鳥居が見えるが帰りに寄ることにして階段を上がっていく。右側に相撲の土俵が見えるがこれも帰途に。
参道のみがコンクリートで脇道は土のこともあってか、なにか故郷の神社に来たような気がする。
大鳥居、二の鳥居と進んでいく。
正面社殿の屋根には「16菊紋(十六弁八重表菊)」。16菊紋(十六弁八重表菊)は天皇家のみの紋章として明治時代に定められ、皇室以外の使用は原則禁止されたが、一部例外や緩和があり、現在ではパスポートや一部の社寺、食器など法律の許す範囲でデザイン化されたものがつかわれている。社殿は1964(昭和39)年造営。
狛犬は1877(明治10)年に奉納されたもの。子どもの狛犬は左右ともども親の狛犬を見上げている。しっぽは二つに割れる特徴がある。
手水鉢は1686(貞享3)年に奉納されたもの。
仮殿と呼ばれる社殿改築時にご神体を奉安するところもある。
下ると土俵。秋の八幡様の例祭にはここで相撲が取られる。
更に下りていくと厳島神社。小さな太鼓橋を渡っていく。小さな社ながら参拝者も多く、祈る姿が見られる。
Mar.31,2016 松田浩志
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