東京都港区 旧芝離宮恩賜庭園
Shibarikyu garden,Minatoku,Tokyo
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東京都港区海岸一丁目
旧芝離宮恩賜庭園
江戸幕府の老中・大久保忠朝の上屋敷内に作庭した大名庭園楽寿園を起源とする回遊式庭園である。作庭当時は海岸に面しており、浜離宮恩賜庭園同様汐入の庭であった。現在では周囲の埋め立てとビル群により海の眺望は失われた。一部が鉄道の増設用地に提供され面積が狭くなった。
(ウィキペディア「旧芝離宮恩賜庭園」より)
国名勝 旧芝離宮恩賜庭園 江戸初期 池泉回遊式
まず北東から本園に入って一覧すると、大池があって栗石敷の浜があり、これはこの時代に流行したやり方である。池中には大島があり、池畔や中島には多くの護岸石組が見られるが、今日ではかなり荒廃している。そして左方には芝生敷の築山を数個作ってあるが、この築山部の石組は、その一部に豪健な手法を用いてあって、これは加藤嘉明時代、すなわち寛永年中の石組であるが、実はこれらの石組の豪健性は、桃山期の手法であって、これは城主嘉明の気風がそのまま構成されたものと考えられる。この付近にはソテツの植栽もあり、全体的に寛永初年と思わぬほどの豪快さを見せている。
さらに回遊すると池中には中国風の石橋を架け、あるいは中島に向かって切石橋の剛健なものが架けられていて、本園の主力は嘉明時代に、しかも寛永初年に完成していたことが考えられる。これらの石組は、特に自由奔放で、この頃の定型的なものがなく、あくまでも創意を思う存分に駆使していることに驚目するものがある。枯滝石組、蓬莱石組、三尊石組のいずれもが傑出している。しかも奥部には長方形の池庭となり護岸石組もなく、全園に海水を入れて干満の差を作るなども珍重な庭である。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」旧芝離宮庭園より)
現地説明板
庭園、右回りに
冬牡丹
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