JAPAN GEOGRAPHIC

東京都新宿区 目白
Mejiro,Shinjukuku,Tokyo
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Jan. 2014 柚原君子

新宿区聖母病院界隈

1、 聖母病院&大聖堂

東京都選定歴史建造物(平成15年7月選定)
所在地:東京都新宿区中落合2丁目5番1号
1931 (昭和6) 年に竣工のRC造三階建て。
設計者はスイス人のマックス・ヒンデ1887-1963・他作品:松が峰教会・上智大学一号館)
国際聖母病院という呼称でしたが、戦争当時の軍部によって「国際」の呼称を外されました。建物の骨組みは60cmもある分厚いコンクリートでできていて、1935年3月の東京大空襲で爆弾が当たったにもかかわらず跳ね返したという話が残っています。幸い、空襲時の火災も免れて傷病者を救護し続けた病院です。また、帝銀事件の被害者が入院した病院でもあります。現在は高齢者福祉施設である聖母ホームを併設する総合病院。
薄茶色のタイル張りの外壁とL字型建物の頭頂部にある二つの塔が特徴的です。縦長の窓に丸いアーチの変化をつけて、入隅に曲面を用い、軒の小庇や窓台で水平線を強調するなどの点は、当時流行したデザイン。聖母病院は、不動谷(西ノ谷)と諏訪谷とに挟まれた丘の上に建てられており、聖母坂から諏訪谷に向けて斜面を切り崩して拓かれています。
2003(平成15)年、新病棟の改築に伴い、強固な基本構造はそのままにして外観を当時のままに再現されました。
敷地の奥、駐車場の先に大聖堂があります。北側にあるこの大聖堂の脇は、切り立った崖になっていて、当時この辺りが青柳ヶ原と呼ばれた高台であった面影を残しています。ちなみに群制が敷かれた明治29年のこの辺りの住所名は「豊多摩郡落合町大字下落合670」でした。大聖堂は竹中工務店のHPによりますと「折り紙細工からヒントを得た、RC折れ屋根・折れ壁構造により柱・梁の無い大空間とシンボリックな外観を表現し、折れ屋根形状を直接顕わした内部は、天井の光と影が印象的な祈りの空間を創出しています」とあります。2011グッドデザイン賞を受賞しています。

                                            

           2、佐伯祐三アトリエの地

所在地:新宿区中落合2丁目4 番
江戸時代には農村であった落合は、明治以降も武蔵野の面影を残すのどかな田園風景の広がる郊外の静かな住宅地で、過密化が進む都心を離れて多くの文化人が住んでいました。1914年に堤康次郎が、東京府落合村下落合の大地主宇田川家から2667坪を購入したのを始まりとして、早稲田大学や近衛家・相馬家所有の地所などをさらに買い上げて行き、第一文化に村から第5文化村まで出来上がります。やがて西武鉄道か敷かれて文化村は多少の寸断をされますが、この第一文化村の少しはずれに佐伯祐三はアトリエを構えて、二年ほど住みました。聖母病院の西側の小さな公園の中にあります。洋風の家の北側の明り取りの窓は三枠も重ねられて北側の壁全てが窓の様で、画家としても光の取り入れ方がこだわられていました。現在のアトリエの南側に母屋がありましたが、それは今は無く、正面にドアが二つありますが一つは入り口としてのドア、もう一つは母屋に通じるドアであったので、現在の外側から見ると奇妙な段差になっていましす。アトリエの前の家も昭和の頃の家でしょうか。趣がありカメラを向けてしまいました。                                                              

3、薬王院

所在地:東京都新宿区下落合4丁目8番
新目白通りからちょっと入っただけなのに、薬王院の門前に立つとあまりにもの静寂の中なので驚きます。薬王院は真言宗豊山派の寺院で、瑠璃山薬王院医王寺が正式名称です。新宿区指定、重要景観樹木のケヤキが薬王院の門の脇で冬の青い空に伸びていました。鎌倉に行ったのかと思えるような配置で、樹木の茂る中を庫裏を右手に牡丹が見事に並んだ(まだ蕾も無い時期で切り株のみ)階段が上へ上へと続いています。
階段の脇の植栽の地面はまだ黒々としていますが、上を見上げるとこれまた京都の清水寺を思わせるような舞台作りの本堂がそびえています。植えられている牡丹は1966(昭和41)年に奈良の長谷寺より100株を分けてもらったのが始まりで、現在ではそれが増えて1000株の花を咲かせる花の寺となり、「牡丹寺」、「東長谷寺」とも呼ばれるようになっています。墓地の先は普通の住宅が続く道路へと抜けられるようになっています。門より登ってくると山一つ超えた感じで息が切れますが、ご近所の方の通り道にもなっているようです舞台作り本堂の下には庚申塚もあります。かなり大きなものです。
本堂には中世の板碑が8点保存されているようです。そのうちの1307(徳治2)年、1338(建武5)年、1367(貞治6)年の3枚は、保存状態もよく大変貴重な資料とされているそうですが、残念ながら非公開とのことでした。                        


4、氷川神社

所在地:東京都新宿区下落合2-7-12
狛犬がいるのはどの神社も当たり前で、その様子も似たり寄ったりのものですが、この氷川神社は子どもの狛犬をつれている珍しいものです。愛らしい子どもの狛犬で親狛犬の目じりも下がっているように見えました。受験の季節でしたので神主さんじきじきに祝詞をあげてもらっている学生さんの姿や、深々と長〜くお辞儀する受験生の姿が次々とありました。            

5、相馬家居住跡&おとめ公園

所在地:東京都新宿区下落合二丁目
昔は将軍家の鷹狩の場であって入ることで立ち入り禁止区域として「御留山」と呼ばれていた一帯です。明治の頃、近衛家がこの一帯を所持していましたが相馬家に売却。その後相馬家から東邦生命に。1960年に大蔵省が職員の住宅建設用地にしようとしましたが、地域の住民の願いを入れて一部を公園に残したという経緯あります。余談ですが、相馬家は相馬中村藩の旧藩主(現、福島県)です。ちなみに新宿中村屋さんの苗字は相馬さん。縁戚なのでしょうか。
おとめ山公園には自然の湧水が地表に出ている、と案内にはありましたが見つけられませんでした。江戸時代は蛍が飛ぶ地であったそうで、「落合ボタル」として現在土地の有志が引き継いでいらっしゃるそうです。入り口の左側に網で囲った鳥小屋のようなものがありましたが、夏はそこに蛍が飛ぶのでしょうか。湧き水、深い森、相馬家の名残で回遊式庭園も一部残っています。回遊式庭園の上方には芝の斜面が当時の面影をしのぶものとして整備されています。枯葉が地面に積もっている階段道をゆったりとあがって行くとちょっとした見晴台に出ます。静かな一角でした。                     

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