東京都台東区 小野照崎神社
Onoterusakijinja,Taitoku,Tokyo
Category
|
Rating
|
Comment
|
![]() |
![]() |
|
![]() |
|
|
![]() |
|
|
![]() |
||
![]() |
![]() |
|
![]() |
|
|
![]() |
Mar.28,2025 柚原君子
所在地:東京都台東区下谷2-13-14
関東大震災と東京大空襲と二度も大火を逃れた神社。御祭神は参議という国の要職も務めた歌人詩人絵の大家でもある
小野篁公(おの たかむら)。
852年(仁寿2)年、小野篁公が御東下の際に住んだ上野照崎の地に創建されたのが始まりで、寛永寺の建立とともに現在の地に遷された。
本殿の脇にある富士塚は国の重要有形民俗文化財に指定されている。1782(天明2)年に築かれた富士塚で直径約15m、高さ約6m。「下谷坂本富士」という名称。一合目から十合目まで記されていて、南無妙法と書かれた石碑や修験道の開祖である役小角の尊像も残る等など神仏習合の名残が見て取れる。夏越の大祓と富士山の開山に合わせた6月30日と7月1日の2日間に限り、一般に開放される。
また庚申塚は大阪の「大阪四天王寺 庚申堂」、京都の「大黒山金剛寺 庚申堂」と共に「日本三大庚申」と呼ばれ崇敬を集めていた「喜宝院
入谷庚申堂」から遷祀され、道案内の神として信仰を集めた「猿田彦命」をお祀りしている。全十一基のうち、最古のものは1647
(正保2年)につくられている。台座に「見ざる・聞かざる・云わざる」の三猿の像が掘られた青面金剛の塔は、聖徳太子作といわれる大阪四天王寺にある霊像を模造したものと伝えられている。
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中